ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

平衡と遷移:言葉の恣意性


「イケ」の発音で「池」を連想する


この反応が共有され
「池」という言葉が機能する


「池」の連想には
池の風景を伴うこともある


この風景は
人それぞれの思い出により異なろう


万人の
万にも及ぶ池の姿が全て「池」という言葉に連なる


こうして
モナドのように
「イケ」は
一にして多の景色として現れる


しかし
いろいろな池が想起されるのだろうが
「イケ」の発音から海の景色を想像する人は
いないだろう


そう信じながら「イケ」と発音する


だから
「イケ」の発音で海を想像する人に出くわし
「イケ」にはクジラやイルカが住んでいる
といった話を始められたら困惑する


そして
「イケ」から海を連想している人を叱ることになる


「おいおい
 池にクジラやイルカは住めないよ
 クジラやイルカが住むには
 池は小さすぎるよ」


しかし
「イケ」から海を想像する人にとって
クジラは鯉のことで
イルカは鮒のことであったりすると
この反論は意味もなさないことになる


「イケ」に鯉や鮒は住んでいる景色を
両人ともに思い浮かべているのだ


それでも
常識からすると
イケは池であり
クジラは鯨であり
イルカは海豚であるべきである


不変のイデアを追い求める動機が
この「べきである」にあるのだろう


言葉の権威は
前例踏襲の平衡状態により保たれる


私も
私とて
私を踏襲し続ける仕組みの中で
平衡を維持しているらしい


その踏襲に辟易とすると
恣意性への自由に憧れるのだろう


「イケ」もいつか海になりたいのかもしれない

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