ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:集団への反応としての感謝


病気を憂う


病気になり
出来ていたことが
容易にできなくなると
今までのように
未来に備えをすることが困難になる


それどころか
病気である未来へ備えるため
備えるべきことが増えたりもする


それも
普段あまりしたことのないような備えであるので
たいへん苦労することになる


病気の本人が
こうした備えを出来ればよいのだが
病気であるがゆえに
周りの人がその負担を担うことになる


だから
周囲に助けてくれる人がいない野生生活では
病気は生死にかかわる重大事だ


近くに病院があり
病気の間は薬をもらったり看病してもらえる
これは
たいへんありがたいことである


自分ではできないことを
他人に助けてもらえるのだから
自分は非力でいられるのだ


考えてみれば
車を創ったり
家を建てたりすることも
他人任せで
自分はお金を払うだけだったりする


感謝しなければならない


さて
この感謝であるが
お金に感謝するのか?
社会に感謝するのか?


いずれにぜよ
この感謝ができる状態を維持できるように
祈りたくもなる


私一人では
なにもでいない


それでも
何かをしなければ
ならないだろう


そう思いながら
平穏を祈る


選挙の一票も同じようなものである


投票は感謝の機会でもあるのだろう


病気になってからでも遅くはない
非力だからこそ祈り感謝を捧ぐのだ


小さな感謝の形を
少しづつ

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