ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:手段であるコギトは目的たる神を切望する


私という意識は
私の内臓を満たすための手段を
あれこれと思案してくれる大変ありがたい存在だ


言うなれば
空腹の神様がいて
その神様が
どうすれば食欲を満たしてくれるのかを
私の意識を導き
食欲を満たすという目的を掲げ
食欲を満たすという目的を叶えてくれている


神は目的の象徴である


だから人間は
目的を恵んでくれる神に感謝し
目的を育む神に感謝し
目的を叶えてくれる神に祈り
そして
目的を達成して神に感謝する


目的がなければ
手段である意識は
暇になり存在価値がなくなる


神が存在しなければ
神を崇め奉る意義が薄れてしまうように
目的がなければ
手段たる意識はその存在意義が希薄になるのだ


目的を求める心は
心が手段である証左である


たとえば
食欲を満たしたい心は
栄養を摂ろうとする手段であり
性欲を満たしたい心は
子孫を残そうとする手段であり
言葉を覚えようとする心は
他者との調和を図る手段であり
また
他者を支配しようとする手段であり
他者を排除し争う手段である


手段と目的の共依存の循環の中で
目的と手段は共進化をしてきた


目的を維持するために手段があり
手段を維持するために目的があり
社会を維持するために神があり
神を維持するために社会がある


身体を維持するために意識があり
意識を維持するために身体がある


存在が
他の存在と関係しながら
生命は反応を連鎖させている


他の存在を帰納し
反応を連鎖させている


帰納され存在するはずのものがないと
目的を失い手段は途方に暮れることになる


私の中に備わり
帰納している目的たちや
私の外に備わり
帰納している目的たちを総称して
神が存在している


神は
反応の連鎖の象徴なのだろう


反応は帰納されている目的において
手段として存在している


連鎖は目的であり
神なのだろう


一言いうと
二言三言と反応が連鎖するように返ってくる


そこにも神は宿っているだろう


命のある所
何かの目的が帰納され隠されている


言葉はその目的を刺激して
新たな言葉を創造する


例えば
「神はいない」という言葉に反論しようとするとき
神は意識の中に帰納されている

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