ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:正しく楽しく生きるということ


正しく生きるということと
楽しく生きるということが
両立していると
しあわせだ


何時も幸せならよいのだけれど
正しくなかったり
楽しくなかったりすることがどうしても出てきてしまう


そうなると
しあわせに陰りが現れるようにできているらしい


正しく生きると
周りの人たちに義理が立ち
非難されることもないが
正しく生きていても楽しくないと
自分への義理が立たない


かといって
楽しく生きて
自分への義理ばかり立てておいて
正しく生きることを怠ると
周りの目が怖くなる


だから
正しい振りをしながら
楽しまなければならないと考えるようになる


そこで
楽しみを阻害しないような正義論を振りかざしたり
隠れて楽しむようになる


隠れて楽しんでいるうちは良いのだが
それがばれると正義論が登場する


正しくないと非難されようとも
その正義論でやっつけるのだ


正しいという言葉が
抽象的で
具体的ではないのだから
煙に巻くことも不可能ではない


食欲という言葉と同じように
抽象的で
具体的ではないのだ


たとええば
お腹がすくと何かを食べたくなる


その食べたくなる何かは
具体的なものでなければならないが
いろいろな食べ物が考えれる


同じように
正義も
何でも良い
と言う訳にはいかないが
具体的にはいろいろな正しさがあるから
煙に巻き
偽善を尽くすこともできるのだ


同じように
「こうすると楽しいよ」と
つまらないことを楽しいと思わされることもある


いずれにしても
正しく生きるのも
楽しく生きるのも
食べ物のように
いろいろあるから
生きていることも面白くできるのだろう

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