ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:「私は異質」に向かう生命力


遥か遠い山々の木々は
山の一部となり
その一本一本の姿は見えない


そんな遠くの木々から見た私の姿も
陸地の一部でしかないのだろう


しかし
私は陸地ではない


私は
確かに
陸地とは異なる存在だ


そのことを
どんなに否定しようとも
私は確信させられている


大地とは異なる我が
確かに在るのだ


きっと
同じように
遠い山々の木々も
山とは異なる存在だと思っているのだろう


実際に
「思う」ということはないかもしれないが
土ではない
空気でもない
水でもない存在として
土から養分を摂り
空気から
酸素や二酸化炭素を取り込み
水を蓄えて
木々は
それぞれの木として
異質性を保持し続けている


この異質性の保持こそ
生命力の証である


この異質性を保持できなくなることが
生命の終焉であるからだ


それぞれに特異的な異質性を保持する力が
生命力という事だ


ニーチェの言うところの「もっと力を」は
特異性を維持する力
それぞれの生命力を求める言葉でもあるのだろう


この力がなければ
周囲と同質化してしまうのだ


力が無くなれば
私も私の個性はなくなり
周囲と同質化すし
消えてゆくのだろう


「もっと力を」


私は
この力を自由に使えているのだろうか?


自由に使っても良いのだろうか?


私は
はるか遠くの山に生える木ではない


それとは異質な存在だ


この異質を維持しようと
懸命に
歩き
走り
食べ
飲み
しゃべっている


私は
私という異質形成に向けて
日々努力を重ねている


私は異質


空気でも
陸地でもない


あなたでもない


この異質に囚われ
自由を失い
私を
私のために
私として
伝承し続ける


その異質を保持する力を
周囲から試され
淘汰されずにいると
私が保持できてゆくのだろう


自然淘汰


周囲からの同質化の圧力に抗う力があるものが
選択され生き延びる


異質を保持し続けるのだ


この力が
何十億年も試され続け
今も
私を試し続ける


遠い山に向かい
何時かそこへたどり着きたいと願ったりする


その願いがわいてくるのか
きっと
そこにある木々と交わり
その木々の気持ちと向き合いたいからでもあるのだろう


太い幹に触れ
細い枝を握り
私は木々に何を思えばよいのだろう

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