ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:「負のエントロピーを食べる」ということ


シュレーディンガー方程式で有名な
シュレーディンガー博士は
「負のエントロピーを食べて生きている」
という言葉を残した


水に赤いインク(血液)を落とすと
赤い色素は
水の中に均等に拡散してゆき
やがて
水全体が
薄赤色に染まる


水と赤いインク(血液)が分かれている状態が
エントロピーが低い状態で
交じり合った薄赤色の水が
エントロピーが高い状態だ


この薄赤色の水を
純水と赤いインク(血液)に再び分離するには
手間と技術が必要であり
このような作業をすることが
負のエントロピーを食べる作業ということになる


傷口から血が流れだすのは
エントロピーが増大する過程で
流れ出た血液を
再び血管の中に戻し
正常に機能させることが
負のエントロピーを食らうことであると考えると
負のエントロピーを食らうことの困難さを意識できよう


自然に任せていると
エントロピーは増加してゆく
ところが
生物は
エントロピーを減少させるというひょじょうに困難ことを
さも平然と実践し生きているので
シュレーディンガー博士は
「負のエントロピーを食べて生きている」
と生命を表現したということだ


生命活動を
反応の仕掛けづくりと
反応そのものに分けて考えると
前者は
負のエントロピーをたくさん食べている過程であり
後者は
糸を切られた錘が
自然落下をするように
エントロピーを増加させる過程を含んでいる


この反応が
また次の反応の仕掛けを作り始めたりするので
何処までが反応で
どこからが反応の仕掛けづくりなのか判別しにくいところはあるが
生命が食べた負のエントロピーは
反応の仕掛けづくりに消費されているといった良いだろう


準備に準備を重ね
あとは
流れるようにことを進めることがある


人生の大一番と呼ばれるようなことには
多大な時間と労力が事前に注がれている


日常では
準備と実践を並行して進めている


それでも
日々の単調な準備が日の目を見ると
嬉しいものである


単調な準備作業の中で
負のエントロピーを蓄え続けているのだ


準備を重ねても
日の目を見ない徒労もあるのだろう


それでも
負のエントロピーを蓄え続けることが
生きてゆくことであるに違いない


生きることが
「負のエントロピーを食べる」ことならば
結果を出すことが生きることではなく
結果を待つために準備することが生きることなのだろう


だから
徒労を重ねてゆくことも
また
生きることに相違ない


むしろ
徒労を重ねることに
普遍的で純粋な生きる価値があるに違いない


結果が出ることは
喜びというひとつの感情に過ぎないということになる


これは
ある意味
とてもつまらないが
とても大切な真理なのだろう


備えなさい
備えなさい
そして
備えなさい


生きることは
備え続けてゆくことなのです


生きれるということは
備え続けられるということです


これが
「負のエントロピーを食べる」から生まれる教訓なのでしょう

×

非ログインユーザーとして返信する