ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:幻想の中を動く身体


イソップ物語に
「オオカミが来た」と噓をつく少年の物語がある


「オオカミが来た」という少年の叫び声で
村人は大騒ぎになるのだが
「少年はうそつきだ」ということになると
「オオカミが来た」という少年の叫び声に
村人は反応しなくなる


反応されない言葉は
空しい


しかし
それが本来の自然の姿であり
「オオカミが来た」という言葉に
反応することの方が
遥かに不自然な現象である


この人造的な
言葉への反応があるので
少年は噓をつくことを楽しいと思った


本当は
便利であると思わなければならなかったのだろう


そして
その便利さを守るために
嘘をつくことを控え
「全ての言葉は本物である」という幻想を
皆で守ってゆかなければならなかったのだろう


身体の中で
様々な反応が起こり
その反応に依り次の反応が起こり
反応が連鎖し続けている


この反応の連鎖を
面白がってはいけない


便利なものであると
その一つ一つの反応に
感謝してゆかなければ
命は紡いでゆけないのだろう


反応されない反応は空しい


動かそうと思った足が動かない
ということになると
動かそうという思いは
空虚に空を舞うことになる


動かそうと思えば動くという幻想の中で
今生きている


このような幻想を
紡いでゆくことが生きてゆくことなのだろう

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