ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

組織と個人:在来種と外来種と大筋賛成各論反対


いま日本のタンポポは
大概
セイヨウタンポポという外来種で
日本の在来種の二ホンタンポポは
あまり見かけなくなっているという


セイヨウタンポポの方が
繁殖力が強く
二ホンタンポポに生えていた場所に
どんどん進出して
二ホンタンポポの生息域を
セイヨウタンポポの生息域に変えていっている
、、、ということらしい


「善」のイデアというものがあるとすると
これは
親の教育や
宗教や道徳、法律などといった外に起源をもつ
外来種である


逆に
「好き」とか「嫌い」といったイデアは
生まれながらに備わっている
在来種ということになる


大地の上で
二ホンタンポポと
セイヨウタンポポが
それぞれの生息域を誇示し合うように
意識の中で
「善」「悪」による価値判断と
「好き」「嫌い」による価値判断が
それぞれ主張し合っているようである


しかし
「好き」「嫌い」というものには
理屈がない


だから
「好き」「嫌い」だけでは
議論に厚みがなく
議論を重ねることが出来ない


それなものですから
議論を重ねれば重ねるほどに
「善」「悪」の価値判断を重宝するようになる


そうした議論の上で
結論らしきものが出来るのであるが
いざそれを実践する段になると
再び
在来種である「好き」「嫌い」が現れてきて
「いや、そこはちょっと待ってくれ」
ということになる


意識の中では
理屈は
外来種が好きなのだが
実践は
在来種が好きのようである


健康のためになる食事があれこれと議論されるが
実際に食べる食事は
好みの美味しいものが長続きする


健康に良いものは
一時の流行で終わり
すぐに飽きてしまうことが多い


所詮外来種ということなのだろう

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