ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

都合の良い反応を囲うこと


人間の姿を見つけると
逃げてゆく動物もいれば
寄ってくる動物もいる


人間の生活圏を
好む動物もいれば
嫌う動物もいる


人間の動物に対する嗜好と
その動物の嗜好が
合致することもあれば
離反していることもある


互いの思惑が一致すれば
良い関係が築けるが
互いの思惑が一致しなければ
敵対的な関係になる


嗜好をうまく制御できればよいのだが
嗜好は生まれつき決まっていて
生れた後、どうこうするのは難しい


猫のネズミの追いかけっこのように
相性が悪いなりに
関係を持ち続けるのも
生まれつき決まっていることなのだろう


生まれつき


この原理に抗するのは難しいが
人間には素晴らしい理性があるという


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メモ


私の細胞たちは
生まれつき仲良しらしい
わたしの免疫細胞は
きちんと私を見分けて
私の細胞に対しては攻撃せず
私じゃない侵入者を攻撃してくれている


私であっても私にとって不都合な私
例えば
癌細胞になってしまった細胞も
きちんと攻撃してやっつけているので
今、癌にならずに過ごしていられている


体内の関係は
相性の良い関係ばかりが残るようにできている
様々な関係がある中でよい関係ばかりが残る
これは
自然選択の偉大な成果だ


自然選択は
個体間の争いが主戦場ではない
体内が主戦場であり
もっとも成果があらわれているのだ


体内はワンセットの遺伝子が
おおきく支配している世界だ
だから
統制がとれている
これは
選択した排除したものが
ワンセットの遺伝子だから
再び侵入しにくいからだ



これに対して
体外の関係は
異なる遺伝子セットの統制下に置かれている
いわば
権力の多重支配に覆われた世界だ
だから
排除したはずのものが
他の権力のもと息づいているから
完全なる統制には
なかなか近づけない


そんな世知辛い世界の片隅に
私は家を建て
その中を
私の強い制御下に置いて
平穏な時間を懸命に作り続けているらしい


一般に
巣を作る動物は
敵が巣に近づけば近づくほど
攻撃性が強くなる
なわばりをもつ動物も
同様だ


世界を分け合うのだ


そうして
国ができたりする


そのためだろう
国の中は
国の外の関係より
統制がとれている



私は
私という個体という国の支配者だ
この国を私が統制している
そう意識がささやきかける


「私に役に立つも細胞を守り
 私に役立たない細胞は目の上のたんこぶだけれど
 私に危害を与える細胞を排除する
 そうだ自由自在だ」
などと
意識だけではできもしない支配の構図を夢想する


まあ
そんな勘違いも
人生の楽しみだ

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