ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

構造と壁の狭間にある自由と野蛮


自由と野蛮の違いは
どこにあるのか?


ひとつには
管理の有無をあげられよう


しかし
管理された自由も
管理されていない結果としての自由も
管理された野蛮も
管理されていない結果としての野蛮もある


人がやれば不倫
自分がやればロマンス


そんな言葉がある


自由と野蛮も
ロマンスと不倫のように
同じことの表現の違いだろうか?


同じことを
飾り立てることもあり
蔑むこともある


それに呼応して言葉が存在する



イデアの国があったなら
自由のイデアも
野蛮のイデアも
凛として永遠不滅のまま存在しているだろう



言葉の定義を
私一人ですることができる


定義をするということと
その定義が世間に受け入れられるということは
別物だ



世間に受け入れられた言葉の定義は
構造と化し
世間の共通認識としてのイデアのようなものになる


言葉も
イデアも
構造だ


その構造に従うことが
世間に属することになる


構造が
反応を支配する


弱い支配もあれば
強い支配もある


構造の支配から外れた反応は野蛮だ


構造の支配が緩い領域は自由の領域だ



子供のころ
どうすればよいのかわからないことが沢山あった
戸惑うことが沢山あった
世間の構造を知らないからであり
世間の構造を学習する時期であった


世間の構造を知り
その構造に従わなければならないと
思っていた


人間には
様々な構造を受け入れる
自由な受け皿が用意されているらしい



自己の外に構造があり
それを自己の中に取り込んでいる
この構造に内包された管理の緩い領域が自由であり
この構造から離脱した反応が野蛮という考えもある


個人には
構造を操る自由がないのだろうか?


社会と個人の間に
壁がある


自由を守る頼りない壁がある


生きようとする力と
生き易さを求める力が混じり合った
私が創った壁である

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