ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

存在の単位


数えるためには
数える対象に単位を想定する必要がある


たとえば
アリの数を数えるときには
生きているアリの身体を基準にして
一匹二匹と数えてゆく
アリを胴と腹の間で切り裂いて
胴を一匹目
腹を二匹目として数えることはしない


物質としての塊を単位として想定せずに
生きている単位として想定する
いわば魂を単位として想定しているのだ


この魂という想定が
生きているということに対する敬意ということができよう


敬意と片付けてしまえはそれはそれでよいのであるが
生きているということを
もう少しいじくってみる


生きているということで想定していることは
動くということだ
それもエネルギーを消費して恒常性を維持しながら動いている


そこで
恒常性という単位を考えてみる


恒常性には二つの認識がある


ひとつは
いつも同じであるように認識できるもので
もうひとつは
同じリズムを継続しているものだ


私という個人は前者に属し
人類の繁殖リズムは後者になる


私の身体は前者に属し
私の心臓や食欲は後者に属する


リズムは時間の単位で
「ひとつ」「ふたつ」と数えることができる
しかし
私の人生や身体は
いつも同じであるから
「ひとつ」としか数えられない
この「ひとつ」が
永遠に続くと想定しているのだろう


だから
「ひとつ」と数えられても
その次の
「ふたつ」がない


骨になったら
あとは壊れてゆくだけだ
壊れたものを戻そうとする恒常性への動きがない


恒常性への動きがないものとして
また「ひとつ」と数えることになる


こうして考えていくと
生きているということは
軌道に沿って動いていることになる


その軌道から外れそうになると
その軌道に戻ろうと力が働く


軌道から外れる動きが崩壊で
軌道に戻る動きが回復と表現されよう


崩壊しかおこらない塊と
回復もできる塊は分けて認識されている


アリは
アリという軌道を
回復しながら時間を流れている一つの単位だ
胴体を半分に切ると
この軌道への復帰する能力が失われる


この恒常性を維持する能力を単位として
アリを数える


一匹
二匹
三匹・・・・


たくさんの軌道が
道端で懸命に回っている


外れないように工夫しながら
道端を回っている

×

非ログインユーザーとして返信する