ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

運の分析哲学と観念論


あの人はきれいだ
あの人はかっこいい


そんなふうに恵まれたあの人たちは
一言で言ってしまえば
運のいい人たちだ


運の良し悪しは
たくさんの原因が絡み合っているから
運の良さの原因の探求は至難の業であり
現実的には不可能なことが多い


例えば
目や鼻といったパーツの一つ一つはとても良いのに
バランスが悪い顔もある


福笑いは
それをネタに笑い合う遊びだ


ちょっとしたことが
良い方に転んだり
悪い方に転んだりするところで
落語のネタができていたりするように
ほんのちょっとの事の積み重ねが
その後の結果を大きく変えてゆくから
運は大切だ


そんな原因を一つ一つ丁寧に全部記載しようとするのが
分析哲学ならば
運が実在すると統合的に思考するのが観念論だろう


どうして赤ちゃんは生まれてくるの?


この疑問に対して
卵子や精子その由来を逐一説明するのが
分析哲学ならば
「コウノトリが運んでくるの」
「赤ちゃんは夫婦が仲良くしてると授かるもの」などの説明が
観念論的な説明だ


漠然とした理解の中で
現象を受容する能力が人間には備わっている


分析しきれなくとも
現象を了知する


そこから分析も始まるのだから
観念論から分析は始まるのだろう


観念論は
時間的に
あるいは
空間的に
離れた所にある原因を知らぬままに
現象を了知する


だから
分析的な確証はいらないけれど
現象の大きな把握に役立つ


物質の最小単位は
原子であった
しかし
その原子も
原子核と電子に還元され
原子も観念として存在していた側面が証明された


原子核も
観念であるらしい


コーヒーカップを持つ右手は
右手であって
原子核でなくても
コーヒーを口元に運んでくれる



原子核が運を運んでくれるのではない


人が知覚できる観念が
運を運んでくれている
こんな思想が
不正確であっても
人間の思想なのだろう

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