ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

唯物論と観念論が争う夜空


唯物論と
観念論が存在している


この事実と向き合い
どのように収まりをつけるのか
哲学している人が沢山いる


唯物論は
星座を還元して
一つ一つの星として語らなければ
真実には至らないと主張し
観念論は
星座を
一つ一つの星に分解すると
星座の意味がなくなり
真実には至らないと主張する


確かに
私の身体には心臓がある
この心臓が何たるかを知りたい
けれども
私の心臓を調べるために
私の心臓だけ取り出すのは本末転倒だ
私が死んでしまう


星座は
星と星を繋げている


夜空にはない線を
頭の中で描くことで成立している


この見えない線の存在の根拠を
物質とエネルギーに還元するためには
星とは無関係な
ただ星を眺め観察しているだけの
人間の存在をも俎上に載せる必要が出てくる


還元により
思考を単純化しようとして
より複雑な思考を要求することになるのが
唯物論の立場だろう


この星と星をつなげる見えない線を
星の物質やエネルギーとは切り離し
実存としてアプリオリにみたてて
思考を単純化するのが観念論の立場ということになる


思考は
そもそも
星そのものでななく
星のエネルギーの流れとは独立して存在している


星とは無関係に存在することしかできない


星と星をつなぐ見えない線も
星と独立している思考だから存在しえる


このような独立性を
否定的に思考するのが唯物論で
肯定的に思考するのが観念論だ


いずれにしても
唯物論も観念論も思考なのだから
それぞれが独立して存在できる


自由にそれぞれ独立した思考を
統一するには
それぞれを制限しなければならない


どのように制限するか?


この制限も
見えない線のひき方のルールの問題になる


まあ
哲学の議論も
見えない線のひき方にかかわる
覇権争いということなのだろう


覇権競争に巻き込まれたら
自らの自由を
その競争の中で制限してゆくことになる


夜空に星座ができると
この星座を構成する星を
他の星座にしがたくなる


人間は
夜空の星にさえ
観念の覇権争い描ける生き物だ

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