ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:PDサイクルとPDCAサイクル


記憶は実践ではない


これは
計画は実行ではない
というのと相似している


PDCAサークルというのがある
plan do check action を循環しながら改善を進めるという


計画 実行 観察 改善


結果を実行者自身が評価するということで
計画を練り直し自律的に改善を進める循環となっている


これに対して
生命の自然選択は
計画と実行は自律的であるが
結果の評価を外部である自然に任せているという点で
PDCAサイクルとは異なっている


自然選択には自律的改善がないので
PDサイクルと言えるかもしれない


単純に計画とその実行を繰り返す循環が生命であり
自ら改善をしようとする革新性が欠けているのが
生命ということになる


生命の記憶に比し
人智には
結果を評価し
計画を改善するという機能が追加されている
ということになる


ここに理性の素晴らしさがある


一向に変えることのできない感情は
自然選択の中で進化してきた融通の利かない実践で
あるのに対して
理性はうまくいかないとみると
自ら変えることが出来る実践なのである


車はここ数世紀で爆発的に進化したが
人間の感情は一向に進化していない


戦略兵器の真価は日進月歩であるが
人間の味覚は一向に変わらない


このような性向から考えるに
感情は保守的で
理性は革新的である


ここに理性の素晴らしさがある


そして
場当たり的な薄さがある


感情は変わらぬままに
理性の産物は次々とその姿を変えてゆくのである


モードを生み
時代を豹変させるのも理性である


何を拠り所にして生きるべきなのか思案するについて
この理性の薄っぺらさも考慮に入れる必要もあるのだろう


変わり身の素早さを
うまく利用しない手もないということなのだろう


智を愛するということには
そうした側面がこびりついている

記憶と実践:馬鹿は死がなきゃ治らない


感情に色を感じることが出来る


明るい色
暗い色
柔らかな色
固い色


鮮やかな色
くすんだ色


単純な色
交じり合った色


色々な色の中で
記憶が蠢き
実践を為している


近づきたい色
遠ざけたい色


色々な色に素直になりたい


近づきたい色に近づいて
遠ざけたい色を遠ざけて
そうするために
何をしたら良いのか考えれ
それができるようにと努力を重ねる


それで失敗したら
色の好みが悪いのである


色の好みは生まれつきなので
馬鹿は死がなきゃ治らない


失敗しても
死ぬまで努力を重ねてゆく


生きてゆくことは
試すこと


色に誘われ試すこと


諦めるのも試すこと


外から与えられた色
内から湧き上がる色


色は色々
試すも色々

記憶と実践:こびりつく感情


記憶にも
実践にも
感情がこびりついている


そして
道しるべになっている


私は
私の中に湧き上がるべき感情を求めて
記憶をたどり
思考し
実践を繰り返している


「ああ、よかった」とつぶやくとき
いい方に流れていると判断して
理性的に「よかった」と思う時もあれば
心の底から
感情的に「よかった」と思う時もある


理性的な「よかった」の時には
私の中で湧き上がる別の感情を求めての
「よかった」である


だから
その「よかった」だけにとどまっていては
どこか物足りない「よかった」なのである


道程の途中の「よかった」ということである


「今日も一日無事でよかった」


この「よかった」には
どこか理性的なところも
感情的なところもがある


それにしても
この「よかった」の対象である「無事」ということが
何ともつかみどころがない


何が「よかった」のかよくわからないけれど
とにかく「よかった」という風なのである


このようなぼんやりとした「よかった」に囲まれて
日々が過ぎてゆく


何処に向かうのかお構いなしに
「よかった」が私を導いてくれている


何が「よかった」のかわからないながらも
穏やかな日々ということになるのだろう


そんな平穏な健康であることが
ありがたいことである


生きているという実践が継続することが
きっと「よかった」なのでしょう


生きることを後押しする感情に囲まれていることが
とてもありがたいことである