ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:言葉を交わし合うということ


顔の表情から
その人の気持ちを察するのと同じように
言葉から
その言葉の意味を察している


言ってみれば
言葉には表情がある


この表情を創るのがうまい人は
作文がうまい人であり
この表情を読み解くのがうまい人は
よく意を解する人である


何かを伝えようと
いくら目配せをしても
それに気づかない人がいるように
しっかりと言葉として表現されていても
その意を解さない人がいる


言葉は全能ではないのである


言葉が通じても
その意味が通じないという現象が起こるということである


馬耳東風


言葉は疎通しなければ
その次の段階にも進めないが
次の段階で待ち構えているのが
その言葉を良しとするか否とするかの判断である


「神はいる」
「いや神はいない」


このような会話は
言葉は疎通しているが
その内容の良し悪しについて
意見が分かれている状態にある


言葉を受容したり
言葉に服従したりするのは
言葉が疎通した後の現象である


受容や服従がなければ
拒否であるが
拒否では疎通しないのと同じである


むしろ反感を買う分
言葉がない方が調和の方向に向くということになる


調和が成立しなければ
世界を共有できず
右側通行と
左側通行をそれぞれ主張して
ぶつかり合うようなことになる


言葉による世界の調和は
言葉の疎通と
その言葉の服従によりもたらされているということもできよう


このような世界の調和のためには
言葉を疎通しない状態
言葉に服従しない状態を排除しなければならない


調和を強く求めれば求めるほど
いじめや排除が問題になるのは
こうした背景があるからなのだろう


調和を乱す者は
牢屋に収監しなければならない


ロシアにも
日本にも
中国にも
様々な囚人がいる


社会はどこまで完璧な調和を求めてよいものなのだろう


「生意気な奴だ」


生ものは加工されてゆかなければならないらしい


生でなくなれば意気な奴になるのである


それぞれが
それぞれを
どれほど加工し合っているのだろう


時に
一人
大自然の中を
自然のままにさまよいたくもなる

言葉と意識:察する能力が世界を動かす


猫が目を見開いて
地面を這うように匍匐前進していると
「何か獲物を狙っているのかな」と察しが付く


狙われている側の被食者が
この姿を見たら
慌てて逃げだすのだろう


こうして
まんまと獲物に逃げられた猫にしてみれば
「ああ
 気づかれてしまった」と
察しを付けるのだろう


アフリカのサバンナでは
インパラとチーターが
察し合いながら命の駆け引きをしている


相手の態度で
相手が何をしようとしているかを察し
こちらの態度を決めているのである


鳥は
その鳴き声で
天敵が近づいた危険を知らせ合っているという


鳴くという仲間の態度から危険を察するのである


なにがしかの能動的な行動が
何かを察する刺激となり
それに対する反応を能動的に実践し合うのである


言葉を発したり
言葉を描いたりするのも
こうした能動的な行動刺激であり
何かが察せられ
それに呼応して反応が能動的に実践される


野生の王国で繰り広げられる察し合いの循環が
人間の会話へと進化してきたのだろう


行動の意味を察するように
文字の意味を察することで
文字文化が成立しているのである


話しながら身振り手振りを交えるのは
野生の名残りなのであろう


話している相手の目を見つめ
言葉のみならず
その瞳から何かを読み取ろうとするのも
同じように
野生の名残りなのだろう


メールの中に絵文字が混じる


これも
言葉では伝えきれない何かを
伝えようとする能動的な行動ということなのだろう

言葉と意識:存在の不存在


言葉には意味が込められている


だから
文字に
形と意味が同居している


意味が込められていなければ
ただの形なのである


信号機の赤色には
「停まれ」という意味が込められている


赤色と「停まれ」は
二重に存在しているということになるが
赤色は信号機に宿り
「停まれ」はそれを見ている人に宿っている


文字に込められた意味も
文字から離れ
それを見た人に宿っている


異所的であり同時並行的に存在しているのが
言葉とその意味であり
信号の色とその意味なのである


太陽も
太陽そのものとその見える姿は
別物であるが
同時並行的に同じものとして存在している


だから
太陽を視覚でとらえた意識のなかに
太陽が存在している


意識には
異なる存在を同じ存在としてしまう性向があるらしい


意識の中の太陽も
空に浮かんでいる太陽も
同じものなのである


見えている文字や信号機と
視覚としての文字や信号機やこれらの意味は
同じものなのである


意識の中で
同じものとして
太陽が生まれ
文字や信号偽が生まれ
意味が生まれているのである


このように
同じものとして意識を創造する能力が
文字に意味を吹き込んでいる


この創造力により
季節の移ろう姿に
それぞれ春夏秋冬という言葉があてがわれた


同じように
全てに対して
全知全能の神もあてがわれて来たのであろう


こうして
権力も生まれてくることが出来た


机上で論理を組み立てることもできるようになった


二匹のアリは別々のアリなのだけれど
同じアリなのである


この様にして
同じを生む能力により存在している存在は
物質としての制約を離れながら
なおも物質であるかのように挙動するのである


意識は
全て意識が創造した世界である


知覚を参考にして創造した世界は
その知覚の対象そのものの様な顔をして存在している
幻想の世界である


私の意識の中に太陽があるが
それは太陽ではないのである
でも
それが私にとっての精いっぱいの太陽なのである


私の寂しさも
私の喜びも
何かを写し取った幻なのだろう
しかし
それが私にとっての精いっぱいの本物なのである