ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:人類の英知に囲まれて


人間には
英知があり
住んでいる場所を
もっと住み易い場所に変える能力がある


しかも
他人がやっている工夫を
自分でも真似する能力があるものだから
人間が住んでいる場所は
次から次へと工夫が施され
人間が棲み易いように
どんどんどんどん変えてゆく


このようにして
人工的に整備された場所を
居住地と呼ぶようになり
それ以外の場所は
未開の地と呼んだり
野蛮の地と呼んだりしながら
恐ろしい場所だから
安易に入り込んではいけないと言うようになった


人間の工夫が及ばない地は、危険が伴う
手つけずの自然が
人間に襲い掛かることがあるからだ


だから
人間は居住地の周りに見えない柵を施し
そこから出ないようにと警告を発しあいながら生きている


見えない柵の中で
家畜のように生きているということだ


柵の外に出てしまい
戻ることができなくなると
自分一人の力で生きなければならない


この無言の圧力の中で
柵に囲まれ生きてゆくのが
家畜としての人間の定めだ


きっと
柵の外にも
素晴らしい恵みもあるのだろう
上手くやれば
独りの力で生きることもできるのだろう
しかし
整備された牧場での暮らしが板について家畜のように
居住地から出てゆく勇気をなかなか持てずにいる


便利さから
離れる理由が見つからない


至れり尽くせりの中で
これからも暮らしてゆく定めが
家畜を家畜として育ててゆく


住環境はもっともっと整備されて
生きる力はもっともっと少なくて済むようになるのだろう


チューブで
必要な空気や栄養を送ってもらえさえすれば
自分で生きる力がなくなっても
生きてゆけるのだ


私は
人類の英知に囲まれ生きている


この英知から逃れる術をわきまえられずにいる
それでも
どこかで
逃れる術を欲しがりながら生きている


「自然に帰れ」
そんな悪魔のささやきが体の奥から聞こえてくるのだ


どこかで血迷い
この棲み易い住環境から逃げ出してしまう日が
私にも来てしまうのだろうか?


私は
人間であるという秩序の中で
人間であることを懸命に演じている


演じけれなくなった時
ただ
秩序から外れ消えてゆくのだろう


それと同じように
社会の一部の秩序を演じ
演じきれなくなるまで
きっと
ここで踏ん張り続けてゆくのだろう


ほんとうは
もっと
自由に
羽ばたいてみたいのだけれど
この人間である秩序と
この人間に許された社会の秩序の中で
華やかに居眠りしながら
ほどほどの夢を見つづけてゆくのだろう

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