ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:原則と例外


鳥と人間の間に
能力の格差がある


鳥と魚の間にも
能力の格差がある


人間と大腸菌の間にも
能力の格差がある


魚と植物の間にも
能力の格差がある


生命は
それぞれの生存戦略に応じて
それぞれの能力を高めながら保持している


蟻にもたくさんの種類があり
それぞれの住む場所に応じて
それぞれの場所に応じた能力を保持している


大海を泳ぎ回る鯨にも
たくさんの種類があり
それぞれの系譜に従い
住む場所を自ら選び
それに適した能力を高めながら保持している


生きてゆくということは
能力を高めながら保持してゆくことである以上
能力に格差がつきまとう


人間の間にも能力に格差があるのは
生き物である以上仕方がない


しかし
人間を定義するうえでは
人間の典型的な能力を想定する


たとえば
「人」を「労働し言語をもつ生命」とする考えがあるらしい


この定義に従えば
労働しない人は人ではないのか
言語をまだ持たない赤ちゃんも人間とは言えないのか
などと
重箱の隅をつつくことも可能なのだけれど
そう言った例外を無視して
人間をひとくくりにしなければならないのが
言葉の宿命だ


人間の能力はアナログなのだけれど
言葉はデジタルなのだから


原則と例外を使い分けなければ
言葉がアナログ世界を表現できない


結果として
みんなそれぞれ違いがあるのに
同じ「人間」としてことがは捕えることになる


だから
「人間」の定義は
原則的に正しいものであっても
個々の人間に当てはめると
例外が沢山でてきてしまう


道徳や法律も
言葉である以上
原則論であり
例外がつきまとう


自分に都合の悪い原則は嫌いだから
例外をおおいに認めてもらいたい
しかし
自分に都合のより原則については
例外など認める必要などない、、、などと思ってしまう


総論賛成各論反対は
そんな人間の間に例外としての能力格差から生じている争いだ


同じ命でありながら
生物間にも例外としての格差がある


地球環境を整えることで一致しても
陸上生物は地上環境を整えることに懸命で
水生生物は水中環境を整えることに懸命だ


多様性を認めるということは
極端に表現すれば
ハエやカのために何ができるかを考えることでもある


きわめて
理性的で
非感情的な試みだ


ハエやカは
認められるべき多様性から外れた例外にしたくなるのが
人間的であり
何でもかんでも多様でいいとは
誰もが感情的に思っているはずはない


自分を特別な地位に置き
尊厳あるものとして扱い
都合の良い例外を享受すべき存在と鼓舞するのは
人間ばかりとは限らないけれど
人間はその能力にことに長けているのかもしれない


同性間の愛情が社会的に認められるようになってきた


性愛はタブーの中で
規律を守るよう社会的圧力が加わっている分野だ


異性愛が推奨され
浮気はご法度とする空気に満ちている


これが原則だ


この規律の空気に
自由権や平等権が入り込み例外が闊歩し始めた


その結果
異性愛の推奨は弱まってきたようだ


浮気はご法度とする空気にも
自由権が侵食する時代がやがて来るのかもしれない


我欲が集い原則を描いている空気の中で
例外がその姿を多様化させてゆく
そして
例外が原則を蝕み
多様性が維持されそれぞれの方向へと進化を始める

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