ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恒常的状態:管理された機械はいい機械


機械は
まともに動いている時には
とても便利なのだけれど
故障すると
厄介者になる


車が故障して動かなくなると
車を放り出して
その場から逃げたくもなるのだけれど
車の管理者として
車に繋がれ
鎖につながれた犬のように
車の周りをグルグル動き回ることになる


こうなると
私が車を支配しているのではなく
車が私を支配しているようで
正しい状態でなくなる


車に支配されるなんていうのは
どう考えても
誤った状態だ


機械は
きちんと管理され
まともに動いていなければならない


これができていれば正しく
こができていなければ誤りだ


善は正しく
悪は誤りであり
悪がなくなり
善ばかりになるように
きちんと整えられて
はじめて
正常に動作してこそ機械である


きちんと動作しなくなったら
機械ではなくなる


管理されている社会も
大きな機械だ


善が支配し
まともに機能していれば
正しい社会であり
悪が支配し
まともに機能していなければ
誤ったお荷物のような社会ということになる


機械は
地上の物質が集められ
加工され
いい部品となり
それが適切に組み合わされて
優れた機械になる


このような機械化により
自然が秩序へと変換されている


自然な人間も
教育され
機械化された人間に加工され
社会のいい部品に育ってゆく


反抗期は
このような機械化に対する
意識的
無意識的な反抗なのだろう


善悪は
習うものではなるが
慣れなければ
反抗期が終わらない


コロナ禍の中
正しい社会というものが
どんどん様変わりしてゆく


習い
慣れてゆくより仕方がない


正しい部品にならなければ
動かない車のように
社会のお荷物に成り下がってしまうのだろう


動かない車に繋がれたように犬のように
社会は動かない車に支配されてはくれないのだから
動かない車を修理しなければならない


機械部品には
正しいと判断される許容範囲が想定されている


誤差範囲だ


誤差範囲の広い社会も
誤差範囲の狭い社会もある
その中で
この許容範囲の枠の中を
自然と
うまく立ち回れれば幸いだ


善と悪がうまく整理されなくて
うまく動かなくなった機械は
管理されなくなって
自由になるのだろうか?


それとも
いつまでも
誤差の範囲に収まるように
整備され続けててゆくのだろうか?

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