ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応世界:言葉と現実の関係性


赤信号を無視して横断歩道を渡る行為は
悪である


この悪の定義には
交通事故を防止するという
社会益が背景にある


社会益の実現のために
悪の定義が存在し
この社会益が実現し無くなれば
悪の定義も形骸化する


このように考えると
この社会益確保が目的であるならば
早朝の他に誰もいないし車も通らない横断歩道で
赤信号を無視して横断歩道を渡る行為は
悪の定義から外しても良いようにも思われる


このように
悪の定義という言葉の世界と
社会益の確保という現実世界の対応関係は
複雑で単純にはいかない


言葉は単純で
現実は複雑だから
言葉で現実の全てを対応しきれないのだから
仕方がない


現実世界の全てに対応しようとすると
言葉は膨大になり
誰も見たくなくなるような長文が多数出来上がる


そうなると
言葉は用をなさなくなる


このことを観念的に表現すると、、、


  現実の世界は
  言葉で表された以外の事柄も
  すべて含まれてしまうから
  言葉と現実は
  一対多の関係性に近い
  多対多の関係にある


  ひとつの現実に対して
  様々な言葉を重ねることもできるのだから
  一対多と単純には言えないけれど
  どんな言葉も
  現実の一部しか反映できないのだから
  統合的に
  一対多の関係性を観念できそうだ


さて
言葉と現実の関係性と云えば
前後関係にも複雑な面がある


言葉が無くても現実は存在するであろうから
言葉に先んじて現実が存在すると考えることもできる反面
言葉が存在しないと存在しえない
高度科学技術の進展に伴い現れて来た現実も様々あるので
現実に先んじて言葉が存在すると考えられる側面もある


まあ
言葉も現実の一部なのだから
ニワトリが先か卵が先かのような
対応関係の連鎖の中に言葉も組み込まれ
言葉以外の存在との関係性を
どんどん複雑に効率的に進化をしてきているのだろう


言葉を紡ぐ思考も
このような類の存在で有り
DNAの塩基配列も
同じような存在と観念できよう


法律が
現実において順守されずに破られてしまうことがあるように
実現しない情報が
DNAの中にも眠っているのだろう


私の欲望も
現実に跳ね返されることがたくさんある


それでもこうして生きているのだから
叶えられている欲望も
とてもたくさんあるということなのだろう


欲望が渦巻き
円環的に循環している反応の中心で
私が鎮座している


叶わない欲望は
中心ではなく
周辺にある円環を結ばない不完全な渦の端にある円弧なのだろう


この不完全な円環である円弧を
台風のように周辺に巻き散らかしながら
生命は歩み続けている


時にこの円弧により
周囲からの恵みを授かり
その恵みを糧に生き続けている


言葉は
渦巻く欲望から放たれるこのような円弧でもある


言葉の本体は
円弧を放つ生命の渦にあり
この渦なくしては言葉も意味を持たぬのだろう


やはり
言葉は
後置的存在で有り
部分的な断片としての存在でしかない

×

非ログインユーザーとして返信する