正誤判断:正誤判断が揺れてこそ現れる意識
私の意識は
ひとつの正誤判断の場であり
私の意識の中では
誰が何と言おうと
正しいものは正しく
間違ったものは間違いである
が
「誰が何と言おうと」という文は誇張であり
誰かにたしなめられると
私の意識の中の正誤判断に迷いが生じる誘因となる
だから
私の意識を
外界から完全に隔離すれば
私の中の正しいは正しいままで
私の中の誤りは誤りのまま維持されるのだろう
そうなれば
考える必要もなく
意識はただ存在するだけのものになり
動く必要は無くなる
そうなったとき
私の意識は無くなるのかもしれない
動いているからこそ
私は
私の意識を意識できているところがあるからだ
正誤判断に迷いを生じながらも
それを導こうとする他者の声に抵抗するから
私は私を意識できている
だから
私は
私と違う意見に晒されるほどに
鮮明になってゆくのだろう