ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

戦略的利他:法律と私


歩いて横断歩道を渡っていると
横断歩道の手前で
車が止まってくれる


私には
車を止め
横断歩道を安全にわたる力が
私には備わっているのだ


しかしながら
私の力が足りないのか
私が横断歩道を渡ろうとしても
車を止められないことがある


心の中で
「その車、止まれ」と叫んでも
止まってくれない時があるのだ


そんな時
私は
右手を高らかに上げて
「その車、止まれ」と体を使いアピールをする


すると
車を止める力が強くなり
私は車を止めることができる


それでも
止められない車がある


私の車を止める力には
限界があるらしい


この限界を超えて車を止めるためには
手を挙げるだけではだめで
もっと効率が良い方法があると教えてもらった


警官の格好をまねするとよいというのだ


警官の格好をして
横断歩道の目立つところに立ち
横断歩道歩道を渡ろうとすれば
ほぼすべての車を止めることができるという


そこで
私は警官の格好をしてみた


私の車を止める力は飛躍的に向上した


権力とはこういうものなのだろう
ありとあらゆる車が止まってくれるようになった


しかしどうだろう
警官の格好をやめると
再び元のように
私が横断歩道を渡ろうとしても
車を止められないことが多くなった


車を止める力は
私が本来的に持っている力ではないらしい


警官の私は強く
生身の私の時には弱く
仮に私が猫や犬だったら
もっと弱くなるようだ


話は変わるが
私には
「こんにちは」というと
「こんにちは」と返してもらえる力も備わっている


「おはよう」といういうと
「おはよう」と返してもらえる


この力に気づいたのは
幼い子供のころだったろうか?


ある時
この力を使っていると
この力が強い時と弱い時があることに気づいた


どういう語調で「おはよう」というと
その力が強くなり
どういった調子で「おはよう」というと
その力が弱くなるのかが
使ううちにだんだんわかってきた


私の工夫により
私の力は強くもなり弱くもなるのだ


権力は
こういう努力の集積なのだろう


威張った顔をした車が
横断歩道を渡ろうとしている私の前を横切って行った


威張った顔で
何かの力を得ようとしているのだろう


人それぞれに
他者から利他を引き出す力を蓄えあい
社会の秩序が維持されているようだ

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