ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

内部と外部:正義と義務


内部にとって
内部を維持するための義務は正義であり
この義務が履行される環境を維持することは正義である


犬や猫のといったペットは
治療不可能となると
しばしば安楽死の対象となる


競走馬も
苦痛しかない生を避け
安楽死させたというニュースを聞くことがある


安楽死は違法行為であり
忌避すべき行為である
というのは
人間に対する法律であり
人間以外の動物には通用しないらしい


人間という視点に立った時の内部には
犬や猫や馬は入らない


動物の言う視点に立った時の内部には
人間も犬や猫や馬と同じ扱いになる


内部の範囲をどうするかの違いが
矛盾を作るということだ


人には厳しく自分に甘いのも
このように
内部の規定の仕方で義務を変更するから生まれてくる


内部には
より高密度の義務が詰め込まれているからなのだろうか
他の義務の要請で
別の義務の要請を断らなければならない事態が頻発してしまう


この事態を回避すべく
自分に課せられた義務を履行するために
「しかたがなく」自分に課せられた別の義務に目をつむることになる


自分の内部の義務はすべて把握しても
自分以外の内部の義務はすべて把握しきれないのだから
他人の内部の葛藤はさておいて
自分の葛藤の解消に全力を挙げるのだろう


それぞれに
内部には自由が少なく
その外側には大きな自由があるように見えてしまうのだろう


人間には安楽死する自由もない


犬や猫にはあるのに
人間には安楽死する自由もない


猫や犬は
なんと考えているのだろうか?


生きる義務を履行する環境は正義である


この意味で
安楽死は悪には違いない


きっと
正義は
それぞれの命のためにあるのではなく
集団のためにあるのだろう

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