ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

内部と外部:人間の限界


意識は
支配されている


痛みは
意識に降りてくる存在であり
意識が作り出した知性ではない


「美」も同じだ


「うまい」も
意識が作り出した知性ではない


「うれしい」「楽しい」
「悲しい」「辛い」


みんな
意識を支配しようとやってくる実存だ


むろん
知性を積み重ね感じる感動もあるけれど
そんな感情にも
奥深くには
生まれながらに備わった感情が横たわっている


この横たわった感情が
意識を支配し
知性の積み重ねを誘導している節があるのだ


このような実存が
人間の種に共通していると感じ
それを知覚するのだろう
他人にも同じような感情が備わっていると
信じ考える


言葉が通じ合うのも
このような感情の共有があるからなのだろう


してみると
言葉の存在も
種として共有する実存に依存しているということになる


ポーランド科学アカデミーは
猫を侵略性外来種と認定したらしい


猫の前に
人間自身を侵略性外来種に認定しないのは
人間の特性と言えるのだろう


この特性と対峙するのが理性ではあるのだろうが
葛藤の末
自分は侵略していないと判断するのが
人間の理性の限界なのかもしれない


人間は人間の内部にあるのです


外部に出て思考しても
すぐに内部に戻るのです


知を愛する限界が
ここにもある

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