ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:偶然の超越


生命活動は
予定の承継と
予定の実践により維持されている


予定の承継も予定されていることであり
その予定の実践なので
単に
生命活動は予定の実践である
ということもできるだろう


大雑把なものから詳細な予定まで
様々ではあるが
生命は何らかの予定を持っている


一つの見方ではあるが
よりきめ細かく
より多くの
より確実に実践できる予定の総体が
より高度な生命体ということができるだろう


適応というのは
予定を実践する生体と
その生体を囲む環境との調和である


生体と
環境が
同じ予定を共有することで
適応が実践されてゆくことになる


環境の予定は不変であれば
生体の予定はそれに適応するように変わらなければ


同じように
環境の予定が多様であれば
生体の予定も多様でなければ
調和が成立しない


また
環境の予定が未定であり
予測不可能であれば
数ある生体の予定の中で
たまたま調和した予定が
適応的に実践できるということになる


結果として
数ある予定の中で
偶然、環境と調和した予定が実践される


このような
不確定な未来への偶然の超越により
生命活動が維持されている


失敗を織り込みながら
偶然うまくいった予定が
次世代に引き継がれてゆく


たくさんの出会いがある


一過性の出会いもあれば
永続的な出会いもある


偶然が何回も何回も繰り返され
それが未来へと超越してゆくと
必然であるかのような実績が出来上がる


出会う予定を承継し
出会う予定を実践し
この予定を偶然から必然であるかのように
遷移されながら
継続が維持されている


生命は
予定の実践で維持されている


私の心も
私の意識も
予定を希求し続ける


実践はかなわずとも
予定を希求し
その予定の偶然な実現を待ち続ける


吾が利権の永続を希求する

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