ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:運命を運ぶ大いなる存在


「何事も予定通りにはいかない」
と思っていても
予定通りにできていることがたくさんある


考えてみると
予定通りにいっていないことは
全体からすれば
どちらでもよいような些細なことなのかもしれない


だから
予定通りにいかなくても
なんということもなく
「予定通りにいかない」と嘆いていられる


これが
心臓が予定どおり拍動しない
なんて事態になれば
死んでしまうから
「予定通りにいかない」と嘆くことすらできない


病気で
動けなくなるなんてことを予定していないから
いざ病気になると
「予定通りにいかない」ということになるが
もしかしら
その病気は予定されていたものだったのかもしれない


少なくとも
死ぬということは
予定されていることのようだ


それが何時とはわからないが
いつかは死ぬ


この「何時」が
きちんとわからないから
「死ぬ」予定を立てられずにいるようだ


このように
私の命は
私の意識により予定しきれないところがある


この意識を超えた予定を目の当たりにして
私の意識は
私の運命が
私よりも大きな存在により動かされているように感じるようだ


心臓が予定通り拍動しているのも
病原菌を免疫系がやっつけているのも
この大いなる存在のお陰様ということになるのだろう


私の意識が
私の指を動かそうとすると
私の指が予定通りに動く


このことにより
私の意識は
私の指の予定を支配しているように感じるようだ


それと同じような風に
得体のしれない大いなる存在が
私の身体全体を支配して
病気になったり
健康でいられたりしているように感じるようだ


私の意識は
私の指をどこまで支配できているのだろう?


支配しているのは
指のほんの表層の機能のみで
筋肉や骨の営みの本懐を
私の意識が支配しているわけではない


支配というものはそういう
あいまいな存在である


大いなる存在も
そんなあいまいな存在だ


私が私が指を支配していると
勝手に思い込むような幻想が
大いなる存在を創造しているようだ

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