ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:行為者と被行為者


ネコ好きからすると
ネコに嫌われ逃げられるのは悲しいことだ


愛するということには
対象というものがある


この対象があるということにより
愛する存在と
愛される存在との間が分離する


この分離により
働きかける側と
働きかけられる側の非対称性が描き出される


攻撃する側と
攻撃される側の非対称性


様々な非対称性が
愛する
愛されるというような
行為者と
被行為者を描き出される


被行為者の行動を予想しながら
行為者は行動を起こし
その予想通りにいけば
恋がかなうような蜜月が
行為者と被行為者の間に生じる
しかし
その予定通りが実践されなければ
行為者の行為は徒労ということになる


蜜月が生まれるのか?
徒労に終わるのか?
この分岐の鍵は
被行為者の手の中にある


この鍵が
被行為者が行為者を
迎合するか
はたまた
拒絶するのかを決めている


行為者は
その鍵を
うまく操りたいと願ったり
手渡してもらいたいと願ったり
奪い取ろうとしたり
はぎとったりしたいと思う


このような駆け引きにつかれると
なぜ行為者は行為をしたくなるのかと嘆きたくなる


なぜ行為者が生まれてくるのか?


なぜ愛するという現象が生まれてくるのか?


嫌いであることの説明はたやすいが
好きであることの説明は難しいという


理屈ではなく
なぜだか
好きになるのだ


ネコがいると
撫でてあげたくなる


ネコにしてみれば
迷惑なのかもしれないが
無性に撫でてあげたくなる


ネコが目を細め
私にすり寄ることまで妄想してしまう


どうもこうもなく
行為者になることが合点
どうやら予定されているらしい


行為者になり下がりながら
生きるようにできているらしい


私にすり寄ってこず
少し離れたところから私を見下ろすネコがいる


そのネコを見上げながら
愛は孤高なものであるのだと
一人合点を繰り返す


私も
どこかであのネコのように
様々な愛の予定に縛られながらも
孤高に今を過ごし続けているのだろう


徒労という孤高


無償の愛


一人でいながらに
独りではない身を思う

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