ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

欲望と自由:極端を夢想すること


他力本願の岸辺と
自力本願の岸辺の間に
様々な人間性が流れている


一つの欲望に
多数の力が終結すれば
欲望実践に立ちはだかる困難を
乗り越える力が大きなものになる


集団の欲望をかなえた後に
配分が待っている


ここで
自力本願が顔を出したりするが
他力本願もまだまだ頑張る


資本家と
労働者の対峙は
配分をめぐる闘争はその一例だ


自由な欲望が
ぶつかり合い
制限を設けながら
闘争を収束させてゆく


制限の力が
自由の力を抑えている間は
制限が機能するが
欲望がもたらす自由の力が
制限を乗り越えようとする


この結果
資本側に対する制限が強まることもあれば
労働側に対する制限が強まることもあるのだろう


このような対峙が
重荷になると
自力本願が頭をもたげ
「最後の最後に頼りになるのは
 自分だけだ」
などとつぶやいたりする


しかしながら
衣食住
何をとっても
一人では何もできないハンデを負った人間には
自力本願にも限度がある


だからなのだろう
一匹でも暮らして行ける野生動物に
憧れたりする


実践を伴わない憧れが
白日夢となり現れる


机上の論理には
このような側面がある


実践を伴わない思考は
自由であり
現実味がない


しかし
論理的理想が詰まっている


絶対自力の象徴として
孤独な野生動物を思い描き
絶対他力の象徴として
植物人間を思い描きながら
他力に拒絶する意義と
他力を頼る意義の中間に
浮世を浮かべ
右に寄せたり
左に寄せたり夢想する


この夢想することが
人間の本質だとして
それを抑圧することは
人間の尊厳を傷つけることなのだと
夢想ばかりしていても
実践が伴わなければ
何も変わらない


なんとなく
人に頼られ
人に頼り
それでも
独り立ちしているつもりになるのが
ありきたりな幸せなのだろう


極端は危険を伴う


機能不全に陥った独裁は
植物人間のように
他力にすがるしかなくなるのだろう


機能するということは
機能し続けることである


機能している間の機能なのである


替りがあれば
その機能をあの機能に替えれば
その機能も浮かばれる


かわるがわる
全体が維持されてゆく

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