ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:パラダイムシフト


頭の中に
因果律の構造が形成されており
この構造が思考や判断を促している


夜寝る前には
雪が全くなかったにもかかわらず
窓の外を見ると
雪景色であることがある


すると
「ああ、、夕べ、雪が降ったんだ」
などと思うだろう


昨夜に
雪が降っている光景を見ていないにもかかわらず
雪が降ったと判断する


この様に判断するのは
頭の中の因果律の構造があるからである


車を走らせていると
路面が
乾いたアスファルトが
濡れたアスファルトに変わってゆくことがある


「この辺りはさっきまで雨だったんだな」


路面の濡れ具合の様子から
誰かが水を撒いたのではないと直感する


前のトラックの陰で
交差点の信号機が見えない状態で
そのトラックのブレーキランプが点灯し
急減速すると
「信号が赤に変わったな」と想像する


交通事故があったとは
なかなか想像しない


ある現象に遭遇すると
とっさに
その現象のありそうな原因を想像してしまう


正解なのか不正解なのかを吟味することなく
もう直感的に原因を判断している


このような
直感的な原因への回帰は
言語の表現から
その意味へ直感的に帰納するのと同じ構造である


様々な現象が
原因と結果で連なれた構造が
頭の中で形成されるように
様々な言語において
表現と意味で連なれた構造が
頭の中で形成されており
表現が直感的に意味に
意味が直感的に表現へと変換される


この様な双方向への変換が
コード表に従いなされることで
言葉は機能し
因果律が思考されている


視覚や味覚などの
感覚器も
このようなコード表を形成するツールなのだろう


視覚器官は
700nmの光を赤色と結び付けている


臭覚器官
バラと甘い香りと結び付けている


このような結びつきにより
感覚器からの情報が
景色を判断したり
周囲の状況を判断させている


コード表に相当する構造がなければ
視覚も臭覚も
何も想像させないかもしれないし
コンピュータで
時として現れる文字化けした画面のように
でたらめな状況を想像させるのかもしれない


思考のほとんどは
このようなすでにある構造の後追いである


後追いであるから
秩序あるものとして
間主観的にも評価されるのだ


このような後追いから逃れ
自由を求めると
無秩序が待ち受ける


その無秩序の中で
新たなコード表を見つけ
あるいは想像すると
新たなパラダイムが開けるということなのだろう


今年
キャラウェイ社から
パラダイムと命名されたドライバーが発売される


使えこなせるのか
私に合うものかわからないけれど
AI設計というキャッチコピーにも惹かれている


春のゴルフシーズンには
手にしていたいものではあるが
どうなっているだろうか?


人間の好奇心は
次々とパラダイムを拡大してきた


これからもきっと
何か新しいものが現れてくるのだろう


どこまでついてゆけるのだろう


ついてゆくのがつらくなったら
落伍者になるのだろうか?

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