ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:ゆがんだ自画像


頭の中に
地平線があって
その地平線より上には
好きなものやことが浮いていて
その地平線より下に
嫌いなものやことが埋められている


だから
地平線より下で右往左往していると
息苦しくなり
何とかして
地平線より上に顔を出して
大きく息をしたくなる


反対に
地平線より上で右往左往していると
浮いていることに疲れ
地平線に降り立ち
地に足をつけたくなる


それでも
好きと嫌いは
水と油のように
交じり合うことなく
せめぎ合い
好きなものやことに関連するものやことは
好きになり
嫌いなものやことに関連するものやことは
嫌いになるから
どんどん
好きと嫌いなものやことが
上に追いやられたり
下に追いやられたりしながら
頭の中のものやことが
上へ下へと別れてゆき
イドラの構造を形成している


この構造の中で思考するから
結論は
新たな地平を発見するような出会いにはならず
従来認識の確認作業にとどまり
今まで通りで正しい
という
自己肯定を繰り返すだけの作業となる


嫌いなものを好きとして考えたり
嫌いなものを好きとして考えてみたりする機会は
そうそう自分からは作らない


自分を否定する機会になるからなのかもしれない


自分が好きだから
自分を嫌いとして考えられないのかもしれない


生きていることが好きだから
生きていることを期待として考えられないからなのだろう


好きなものやことが何であろう
嫌い何のやことがないであろう
せめて
ここから
自分を見つめ直してみる機会を
たまには持ちたい


そしていびつな自分を眺めてみるのだ


それが嫌なことであればあるほどに
自分はゆがんでいると推論できよう

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