ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:鳴き声と心


オオカミの遠吠え
クジラの歌
ライオンの雄たけび


外の世界に耳をすませば
様々な声が観察できる


猫のニャー
犬のワン
雀はピーチク


声とは何だろう?
音とは何だろう?


声を出す喉があり
声を聞く耳があり
声が発せられ
声が受け止められる


耳がなければ
声を出す合理性がない


しかし
この合理性を維持するために声を出すのではない


この合理性を維持してゆかなければならないと考え
オオカミや
クジラや
ライオンが声を出すわけではない


合理性は
声を出す理由なのではない


心の中で
もやもやが爆発し
ただただ叫びたくて
声を出すことがある


心が声を出させるのだ


この声を出させる心も
また
別の心に触発して爆発する現象である


心の現象が
別の心の現象に火をつけるのだ


そして
その心の現象が発生という現象を引き起こす


こうした心の動きを体感すると
心というものは
たくさんの耳があり
たくさんの喉があり
声にならない声を上げ
声にならない声を聞き
心というシステムが成立しているものと
思えてくる


喉は音を聞けないし
耳は音を出せない


そんな喉と耳がつらなり
音が意味を醸造している


このつらなりは
生命反応として構築されている


フェロモンとフェロモン受容体や
ホルモンとホルモン受容体のように
共進化の関係として
維持発展してきたシステムだ


身体の中で
盛んに刺激し合っている
様々なホルモンたちのやり取りを
私は聞くことはできない


それと同じように
心の中でやり取りしている声にならない声も
ほんのわずかしか
わたしには聞こえてきてはいないのだろう


フロイトがしてきた無意識の世界が
心の中で
たくさんの声を出し
たくさんの声を聞いているのだろう


ホルモンの声も聴いているかもしれない


こんな奥深い心の中で
私が考えていることを
言葉として意識している


考えるということは
そういう
自作自演のコンサートだ


リハーサルかもしれない


何かに
邪魔されたり
褒められたりしながら
淘汰選択を繰り返す
リハーサルなのかもしれない


この何かが環境であり
環境へ適応した自作自演が残ってゆくというのが
ダーウィンの自然選択だ


オオカミが自作した遠吠えが
オオカミの心や耳を含めた自然に適応しているから
オオカミが遠吠え続けているように
私も環境に適応したことを考えるようになっている


晴れの日は晴れの日なりに
雨の日は雨の日なりに
心の声を聞き
ものを思い声を出す


これらのことに合理性があるのは
長い歴史に培われた人間の習わしの総和が
自然と洗練されて来たからに他ならない


汚れては洗われ
洗われてはまた汚れてきた歴史による洗練だ


私も汚れ
洗われてゆく


洗ってもまた汚れてゆく

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