ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:実践の能力と理解の能力


天動説を信じても
地動説を信じても
動物としての生活は大きくは変わらない


どちらの説であっても
朝になれば日が昇り
夕には日が沈む


どのように
太陽が動くのかが
生活にとって重要であり
なぜ
太陽がそのように動くのかは
生活にとっては
それほど重要ではないからだ


日が長くなったり短くなったりする
周期を知ることが
生活にとっては重要であり
なぜ
日が長くなったり短くなったりするかは
生活にとっては
二の次だ


生活において
猫を猫と呼ぶことや
犬を犬と呼ぶことが重要であり
なぜ
猫を猫と呼び
犬を犬と呼ぶのかは
それほど重要ではないということだ


小さな子供に
「なぜお日様朝になるとのぼってくるの?」
「どうして春になると暖かくなるの?」
という疑問をぶつけられると
天動説にのっとった説明を得意げに披露することが出来るが
「なぜ犬は犬っていうの?」ときかれると
はたと困ってしまう


天動説を得意げに披露していても
「どうして」「どうして」と
さらに突っ込まれたら辟易としてしまい
「大昔からそうなっているんだよ」と
答えになっているようで何も答えない誤魔化しをすることになる


  大昔から
  こうなっていて
  今もそのままだ


  中には
  大昔にはあって
  今はないものもある


  今もあるのは
  運が良かったからさ


ダーウィンの自然選択の考えだ


この運の良さを
神様の思し召しにすると宗教になり
この運の良さを
さらに「どうして」と追及すると
科学になるのだろう


持続可能な構造は
循環したり
振動しながら
構造を維持している


この維持を可能としている原理は
なぜそうなっているかを確知せずとも
実践できる代物なので
知的能力がない生命も
循環構造を維持できている


実践の能力と
理解の能力は別物なのだ


だから
犬が犬と呼ばれる理由を知らなくても
犬を犬と呼ぶことが出来ている


なぜ構造があり
それが必要なのか知らぬまま
構造を構成する現象が
連鎖を繰り返す

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