ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:繰り返される意義



私は
人間として生きているが
人間になろうと決意して
人間になったわけではない


きっと
私の膝の上で
のんびり寝ている猫も
猫になろうと思ったことは一度もないままに
猫として暮らしているだろう


繰り返すが
「人間である」ということは
私の意志によるものではない


私の意志でないところで
私の肝細胞も
血糖値が高くなると
血液から糖を取り込み脂肪に変え
血糖値が低くなると
脂肪を分解して糖を血液に放出しているのだろう


私には
私の肝細胞が何をしようとしているのか
わからない


いわんや
私の肝細胞ときたら
何も考えずに
何かに反応して
そうしたことを繰り返しているに違いない


同じように
私自身も
なぜそうするのか
その理由を知っていようがいよまいが
何かに反応して
人間らしく振舞っている


怖いものを見れば怖いし
美しいものを見ればそれに惹かれる


そして
周囲の人間が
私と同じように反応するのを見ると
私も人間なのだと
安心する


私は
人間として
実に人間らしくできているのだ


しかし
時に
周りの人の中で
おかしな反応をする人を見かけることがある


そんな時には
「あの人はちょっと変わっている」
「あの人は立派だ」などと
評定して
私とは違うと確認したりする


こんなように評定する私が
私の肝細胞の働きを眺めることが出来たのなら
私の肝細胞を
立派な肝細胞と
怠け者の肝細胞に分けて眺めたりするのだろう


そして
立派な肝細胞をほめたたえ
怠け者の肝細胞を叱咤するのかもしれない


そうした時
自分がなぜそうしているのかわからずにいる肝細胞は
なぜ褒められたのか
なぜ叱咤されたのか考えて
直すべきことを直してくれるだろうか?


私も
褒められたり
叱咤されたりする


そのことにより
私は私を正すだろうか?


賞賛や𠮟咤のの理由がわかることもあれば
分からないこともある


褒められて
うれしいこともあれば
馬鹿にされた心持になることもある


叱咤されて
頑張ろうと思うこともあれば
ふてくされてしまうこともある


なぜそうなるのか
私にもわからない時があるが
それも私だ


私を正すこともあれば
正すことなく
以前からの私を貫くこともある



私は
人間であることを与えられている


そして
私は私であり
私らしくいると思うこともあれば
私は私を与えられ
押し付けられていると思うことがある


私は
褒められり
叱咤されながら
私をどこまで変えてゆくのだろう


与えられた私


それを私が変えてゆく


それを言葉たちが変えてゆく


それをお金たちが変えてゆく


変えながら
変わりながら
反応が連鎖して
現象が繰り返される


肝細胞としての現象を繰り返さなくなった肝細胞は
私に別れを告げずに消えてゆくのだろう


肝細胞は
理由はともかく
肝細胞を繰り返しているからこそ肝細胞だ


私も
どうであれ
私を繰り返す

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