ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:生命は修復再生への反応の仕組みである


反応の仕掛けがあり
刺激と反応が成立している


この刺激と反応の関係は
反応の仕掛けが存続する限り
成立しているが
反応の仕掛けが劣化すると
刺激と反応の関係も脆弱となってゆく


そこで
刺激と反応の県警が存続してゆくためには
劣化した反応の仕掛けが
修復もしくは再生されなければならない


劣化した反応の仕掛けが刺激となり
この仕組みを修復し再生する反応が欲せられるということだ


刺激と反応が存続するという目的において
発生してくる欲望だ


このような修復や再生が実践されると
時間の経過の中で
刺激と反応の関係が維持されてゆくということになる


自然淘汰の対象はこうした反応の仕掛け
ということになる


「生命は
 修復再生への反応の仕掛けである」

言い換えることもできるだろう


反応することで生きているし
反応しなくなれば死んでいると言われてしまう


体を離れた糞尿や垢や毛も
反応しなくなれば死んだものであり
体を離れても
種や卵は反応の仕掛を兼ねた生命である


「生命は
 修復再生への反応の仕掛けである」


反応の仕組みが
相補的に修復し再生しながら
生命が維持されている


言葉も
他の言葉により
その言葉とその意味の関係が維持されている


神様や仏様という言葉も
「素晴らしい」とか
「ありがたい」とか
「尊敬すべきである」とか
様々な言葉に支えられてこそ
それらの言葉の意味が伝えられてゆく


むろん
神様や仏様にまつわる寓話もまた
これらの言葉を支えている


そしえ
神様や仏様がまた
様々な寓話を支え
そのモラルを生き生きと伝えている


反応の仕掛けが
様々に折り重なり支え合い
味気ない物質世界の中で
生命感あふれる世界を局在化している


反応の仕組みがあり
それを
修復し再生する仕掛けがあり
さらに
それを修復し再生する仕組みがあり
重なり支え合いながら循環を形成し
生命が局在する世界を構築し
他の世界との調和と分断を図り続けてゆくのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する