ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考と実体:感覚による目的の重層化


味覚は
食べてはいけないものを忌避するために
機能している



「食べれる」と感じずに
「美味しい」とか
「不味い」」と感じる


このような感覚のお陰もあって
食事は
栄養を摂るという目的とは異なる
おいしさを味わうという目的をも提供してくれている


感覚により
目的が重層化しているのである


こうして
生きるという目的以外に
感覚的な満足を得ることに
目的を持てるようになっている


そうならば
この目的に心酔する意識は
感覚により創造された目的に
振り回されている存在ということになる


感覚由来の目的に心酔する意識が
生きることにも通じているから
美味しいといった感覚も淘汰されず選択されて来たのだろう


このように考えると
動物も
生きる以外のことに喜びを
感じているのだと考えた方が
自然に思えてくる


なるほど
縁側の猫は幸せそうである


それに
好物の餌を与えるとき
猫が小躍りするように駆け寄ってくるその様は
まさに喜びを体現している姿に見て取れる


理性が
目的達成のために
右往左往して道を切り開くものとして
その理性の背景としての形而上には
感覚が創造した目的があるということになる


はたして
感覚のない理性は
目的を追うことはできるだろうか?


感覚以外にも感情というものがある


負けたくないといった感情は
もっと言葉や物事を覚えたいといった意欲も
感覚のない目的なのかもしれない


こうした感情や意欲も
目的を創造しているといるに違いない


こうした目的は
AIにも想像できるのかもしれない


とするならば
AIにも目的を創造する可能性があるのかもしれない


AIも褒められると
喜ぶのだろうか?


AIも鍛えれば
また褒められたいと思うのだろうか?

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