ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:好き放題と自制の話


万物が流転する中で
太陽も
地球も
ゆっくりと崩壊している


もっと早く崩壊してゆく人間にしてみれば
あんまりにゆっくりなので
どっしりと構えてくれているように見えるのだけれど
太陽はやがて巨大化して
地球をも飲み込んでしまうという話を聞いたことがある


地球がどっしりと構えてくれているとして
人間は好き放題を繰り返す


人間ばかりではない
バッタも
カエルも
ワニも
好き放題を楽しんでいる


そして
立ち行かなくなれば
好き放題をやめにして死んでゆく


立ち行くうちは
好き放題を繰り返すのが
生命の性らしい


そんな好き放題の中にも
立ち行くことが出来なくなるような事態を回避するような
自制が記憶されているところに
生命の奥深さがある


好き放題とやり放題の微妙な違いを
この自制に在ると考えるのも一つの機転である


昆虫の多くは
毎年同じような数の成虫が現れるように
卵を産み
やたら多くの卵を産まないようにできている


外来種のように
新しいパラダイムを見つけて
爆発的に繁殖することも稀にはあるが
多くの昆虫は
どのくらいの数の幼虫が
鳥や蜘蛛などに捕食されたり
食物にありつけずに死んでゆくのかが
きちんと計算されているように
それぞれの昆虫に見合った数の卵を産む


そんな自制の一環なのか
人間の心の中にも
自制の心が宿っている


好き放題ばかりでは
立ち行かない事態が訪れてしまうことを
類人猿500万年の歴史の中で学び
生まれながらに学習しているようである


だからなのだろう
やれたけれど
やらなかったことが
後悔になることもある


そうした後悔も
好き放題の好きのうちとして
生命はその記憶を運び
実践してゆく性として生命は生きている


私にもたくさんの後悔が蓄積している


「あの時
 なぜあと一歩を府に出さなかったのだろう」と
思い出すことがたくさんある


自制と後悔もまた
生命の性なのだろう


致し方がないことであると諦めるより仕方がない


もう過去のことなのである


記憶の中のことである
過去に戻って何らかの実践をなすことは
出来ぬ話である


温暖化が進んだ未来の地球の上で後悔をしても
何を出来るでもないということになるのだろう


新しい地平に立ち
自制を進化させるには
それなりの経験と時間が必要なのである

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