ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

歩いている場所を歩いているということ


開いた社会
閉じた社会


サイバー攻撃により
選挙結果が云々という報道がある


開いた社会での批判だ


不都合な情報を隠避すると
公正な選挙にならない


閉じた社会での批判だ



群盲が像をなでているようだ



全体をなでるには
時間が必要だ


時間がたてば
記憶がないと
昔なでた部分が欠けてゆく



乱雑に重ねられた
CDの群れの下の方から
懐かしいジャケットを見つけ
久しぶりに
その音を再生する


忘れていた
歌詞とメロディーを
思い出す


新しい音楽に
押し流されていた
古い情報



何か大切なものを
忘れている


そう思う瞬間が
ふと訪れる


ーーーーー
メモ


「全体は全体である」
これに意味を見い出すことができるだろうか?


さりとて
「全体は〇〇だ」では
全体が全体でなくなる


ウィトゲンシュタイン先生が
「わたしが腕を動かす」と
「わたしの腕が動く」を比較した


マスコミは
「わたしたちが社会を動かす」と
「わたしたちの社会が動く」を
上手く比較しているだろうか?


時間を遊んでいるのか
時間に遊ばれているのか


いずれにしても
時間が進みながら
あたらしいものと
ふるいものが
新しくもなく
古くもなく
ただそこにある


わたしのものでもなく
わたしたちものものでもなく
ただ
そこにあるものがそこにある


ありがとうございます

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