ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思想も哲学も失敗を前提とする夢の一側


思考に対し
確実性が求められているわけではない


少なくとも
生きることなどの実践よりも
確実性は求められていない


思考は
浮き雲のように
現れては消えてゆく
あるいは
蜘蛛の子の様に
沢山産まれては
ほとんどが成熟する前に死滅する


上手くいかないのが当たり前
上手くいったらめっけもの
思考の位置づけは
こんな感じだ


夢はこの典型だ


ほとんどの夢はかなわずに消えてゆく


悲しいけれどわけだ
これで予定通りということだろう
思考の存在意義は
叶わない非現実的なこともことも考えることができる能力であり
非現実を現実に実現する努力の源だからだ


叶わない夢を追いかける
思考の予定した罠に身を委ね
時を楽しむのも
また良かれ、、、、かな


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メモ


人類がみな兄弟ならば
哺乳類もまた兄弟だろう


禅語に
「目横 鼻縦」というのがある


人間みな
目は横についていて
鼻は縦についている


哺乳類の顔もみな似たようなものだ
兄弟だ


「目横 鼻縦」の射程は哺乳類全体に及んでいるらしい


ミミズとか昆虫はそうはいかないので
この禅語の射程は及んでいないのだろう


しかし
これらの動物も
五感の知覚機構は人間と同一性があるらしい


このような五感はない植物でも
人間となから共通なミトコンドリアでエネルギー確保をしている


言葉は
仲間か仲間でないかのをきめる篩の
目の粗さを調整する能力を有している


どのような調整する言葉を用いると
自分に都合が良いか?


色々な言葉を篩にかけて
より都合の良いものを懸命に見つけ出す


これが思考の存在意義だろう
もう少し言えば
多数の失敗の上に数少ない成功が浮かんでいれば
思考は浮かばれるということになるのだろう


失敗を楽しむ
また楽しからずや
これで思考は成立する
だから
本旨にそぐわないかもしれないが
夢はかなわないのが当たり前だ


蜘蛛の子を散らすように
沢山の夢を楽しむのが
思考誕生の趣旨に沿うことなのだろう

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