ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

月影はダイレクトメール


鳥が横切ると
それを知覚することができる
しかし
光が横切っても
それを知覚できない


光を見ているのではなく
目に入ってきた光を感じているから
目の前を通り過ぎてゆく光は
目に入らないのでそれを感じることができない


隣り合った二人が
お月様を見ているとしよう
同じ月を見ているけれど

同じ場所から反射された
別々の光を感じているということになる


言葉は光に似ている


発せられた言葉は
四方八方に直進し
それを知覚した人に共通の認識や感覚などを想起させる

文字であれば

別々の光
声であれば
別々の音が
それぞれの人に届けられる


一斉に発送されるダイレクトメールと
同じ構造だ


月影は
お月様からのダイレクトメールということだろう


私が感じた月影の光たちは
結果として
私の為だけに
月から届けられた光たちなのだ


見ずに捨て去ることもある
ダイレクトメールだ


ーーーーー
メモ


鳥が飛んでいると
その鳥が四方八方に光を反射する
その効果として
周り中の人がそれを認識できる


救急車がサイレンを鳴らしながら走り抜けると
サイレンの音が
四方八方に響き渡る


物質が存在する効果は
周辺に広がり
つながっている


目の前のコーヒーカップと私は
接触していないが
コーヒーカップが反射する光は私に届き
私が反射している光もコーヒーカップに届いているだろう


月から届く光も
私の目に入るばかりではなく
私の鼻にも頬にも当たっているのだろう
目に入らなかった光は
無駄な光なのだろうか?


目に入らない文字
聞こえていない声


つながっているもの全てに反応できていないのだ


生きるためにえり好みをする
このことは
感覚という生きる基礎的能力においても
観察される重要な現象ということになるのだろう
この延長として
様々なえり好みにより社会秩序が成立している


さまざまなつながりの中で
無駄と有益を選別して生きてきた


これからも
そうしてゆくのだろう


ご都合主義のえり好みが
秩序を築き維持しているのだ


ご都合主義のえり好みを非難することは
何かの秩序を
別の秩序の正義により
攻撃したい時なのだろう


そう考えると
別の非難の方策も
視野に浮かぶこともあるだろう


新しい月影を
探さなければならない時がある

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