ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

過去や未来の不在による思考の自由について


過去は存在しない
未来も存在しない


今はそういう状態だ


今ある過去の遺物は
過去そのものの姿ではない


記憶も
記録も
今であり
過去そのものではない


過去を思う今は
確かに今ある
そして
その思う事は
それぞれの個人の裁量に任されている


他人は影響を与えることができるだけだ


記録を含めた過去の遺物や
他人の意見を斟酌することもあるのだろうが
最終的には
個人が
好き勝手に過去を思う


この「思う」という個人の能力に
自由の根源がある


この自由の元に
過去と未来が描かれる


子供が
白い画用紙に
自由な絵を描くように
描かれてしまう過去や未来


これらの過去や未来が
社会の中で
交わり
共感や争いを生む
そして
やがて消えてゆく


どのような今を思い描くのか?


素敵な過去に寄り添った今
哀しい過去に寄り添った今
美しい未来に寄り添った今
恐ろしい未来に寄り添った今


「今、何を思うのか?」


この「思う」ことに連鎖しながら
次の未来が
今へと
変わってゆく


「思う」が現実の今へと連鎖しながら
「何を思うのか?」の真価が問われる


現実へと投影されない「何を思うのか?」は
思いの中に取り残される


取り残される
それがいい、、、ということもある


思いの自由に対して
現実はとても冷たい


やさしさの幻影は
いつだって
現実の中ではなく
夢の中にある


そうこうしながら
今という現実は
自由な過去や未来の夢とともに
動かされてゆくのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する