ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

波紋が重なる水面に映る月影


飽きるというのがある
退屈というのもある
かといって
危険でドキドキするのも考えものだ


平等というのがある
公平というのがある
規格通りの路線がある
なんとも平凡で波風のない暮らしがある


普通というものに自由はあるのだろうか?


普通であろうとすれば
それは普通への自由だ


普通でなければならないと思えば
それは普通への制限だ


目横鼻縦


目が横についていて
鼻が縦なら普通の顔だ


遺伝子が普通を強いてくれているらしい
それでも
言葉では表し難い微妙な違いが人それぞれに現れる


この個性が普通のなかで許される自由のなせる業だ
同じ顔な中で変える表情の違いも自由のなせる業である


たまには飽き飽きした自分の顔を付け替えれば
退屈しのぎになるだろう
しかしそれはわたしだろうか?


福笑いは必ずしも
目横鼻縦とはいかないから面白い


露天風呂の暗い水面に
三日月がゆらゆら揺れている
月の原形をもはやとどめていない光である
息を殺し水面を鎮めると
すこし三日月らしい形が戻る
見ていて面白い


視覚も聴覚もなかなかの堅物ではあるけれど
心模様はゆらゆらとゆらめく柔らかき水面のようだ
そんなことを眺めさせてくれるひとときだ


普通がいい
自由がいい
公平がいい
ずるをしたい
ずるを許さない
様々な言葉が
波紋をなげる


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メモ
法律が非標準を制限しふつうを創る
このふつうには枠がある
この枠から外れなけらば法律違反にならないセーフである


相手が明らかに法律の枠をはみ出していれば
法律違反でアウトを主張できる
自分がはみ出していれば
逆にアウトを主張される


どちらも枠の中にいて争うこともある
どちらも常識の範囲に収まっていても争うこともある
法律だけで決まるほど人間法律的にはできていない


微妙な損得にすら
大きく感情が動く時がある


目口鼻縦には満足できない
小さな個性が大事な個性だ


生きることの意義でもあろう
それでも厳しい争いは避けたいものだ
笑いながら争うくらいの余裕は残しておきたいところである


ありがとうございます

ご都合主義の最適化戦略


環境が変われば
戦略を変更したほうが
生命は生き残りやすくなる


この繰り返しを
長い時間かけてやってきたのが進化の過程だ


遺伝子の変化は
世代を変えるたびに一回ずつしかチャンスがない
だから世代を変えながらでないと進化が進まない


この効率の悪さを乗り越えたのが
人間の記憶と意識だ


人間は
頭の中の情報を変化させて
環境に応じた戦略を立てられる生き物だ


だから素早くその行動を進化させる
ずるいほど環境に適応できる


朝令暮改


人間の能力のある意味象徴だ


脳は環境に適応する戦略を立てる臓器だ
ご都合主義の権化である
都合の良い戦略を立てるのだ
そのためにおおきく発達してきた臓器だ


ただこの臓器が個体にしがみついており
社会にしがみついていないからたちが悪い
社会にひとつだけ脳があれば
皆のためのご都合主義を純粋に考えるのだろうけれど
個体にへばりついているのは
その個体のご都合ばかりを考えたがる


しかたがないから
皆のためになるようなご都合も考えたりする
そうしないと嫌われてしますからだ


これも環境に対する戦略だ


利己的 ゆえに 利他的


頭のいいひとうまく立ち振る舞う


不器用なひとは
正直に利己的になったり
馬鹿正直に利他的になったりする


間違ったことを書いたかもしれない


いいひとはいいひとだ


それでいいのかもしれない
策士になって
策略ばかりに頭を使い
それを能力と粋がっていても
疲れるだけなのかもしれない


それでも
うまく立ち振る舞う人は輝いて見える
他人のことをきちんと考えて疲れているからなのだろう


疲れる毎日がいいのか
疲れない毎日がいいのか


そんなことを考えながら
疲れてみるのもいいかもしれない


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メモ


いい子にしていると疲れる
疲れすぎると壊れてしまう


様々な生き物がいる


能力が高いということは
性能が高いということでもあり
機能が多いということでもある


いい子は能力が高い


性能が高いということは
細いロープの上を歩くのに似ている
機能が多いということは
たくさんの荷物を背負うのに似ている


単純な単細胞生物は機能を持てない
多細胞生物になり機能をたくさん持てる潜在を広げた
機能をたくさん持つために遺伝子を増やした
この遺伝子を維持するために
生殖の機能を強化して遺伝子の交流を活発にしてきた


いい子は維持するのが大変だ
ほどほどがいい


ほどほどが高いレベルだともっといい


欲があるから進化する
もういいとおもえば、、、、しあわせ、、、かも


妥協による幸せがいいのか悪いのか
年相応に思案のしどころだ


ありがとうございます。

発すれば通ず、、、、


年を取り
物忘れがひどくなるにつれ
「あれ」とか「これ」を多用するようになる


言いたいことは頭の中にきちんとあるのだが
言葉にならない


言いたいことと
言葉は別物らしい


記憶と意識が別物だということだろう


意識に戻ってくる記憶もあれば
覚えたけれど出てこない言葉がそうであるように
意識に戻ってはこない記憶もある


無意識と意識の境界線は
言葉とすれば
たしかに境界がなければ落ち着かないけれど
実際に境界線が引かれてはいないだろう
境界線は言葉次第で自由に揺れ動いているようだ


記憶と意識の境も
「あれ」と「これ」の境をどこにするのかを決めるようなものだろう
さっきまで「あれ」だったものが
いつの間にか「それ」になったりするのだ


「私」という言葉や「我」という言葉が意味する範囲も
文脈により異る
それを一概に解釈しようとすると混乱する
なにもかも
「あれ」と「それ」でしか表現してもらえず
混乱してしまうようなものだ


これは言葉の範囲が大まかすぎる混乱だ


かといって
言葉に厳密を求め過ぎると
言葉の使い分けを覚えることが精一杯になり
それはそれで混乱してしまう


これは言葉の範囲が細かすぎる混乱だ



人間のすごさは
「あれ」や「これ」で
混乱なく会話ができたりすることだ


きっと
けしてたどり着くことのない
予定調和を求めて調整しあう
優しい気持ちなのかで
言葉が言葉として
ゆっくり熟成してきているからにちがいない


わかろうとする気持ちをふくめた
聞く力は
言葉の力の源
人間の力の源なのかもしれません


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メモ


指示代名詞は魔法の言葉


ほれ あの それ あの人が、、、、
いや まあ なんだか その、、、、


気持ちは
「あぎゃー」だけでも
通じるときは通じる


通じなければツギハギすればいい


聞く側は
ツギハギだらけの言葉たちを受け入れればそれでいい
一を聞いて百を聞けばいい
足りないを足りるにするればいい


「昔はツギハギだらけの服を着ている子がいい親に育てられている子供だった」
そうお話ししてくれたお婆ちゃんがいました
「それに引き換え、今の子はツギハギのない新品の服しか着させてもらえない」
「手をかけもらえずお金しかかけてもらえない子供がどんな大人になるのやら」


ありがとうございます。