ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:約束の地の創造


言葉を聞くと
自動的に
その意味を頭の中に思い描いてしまう


意味が
言葉を発した人ばかりではなく
言葉を聞いた人にも発生するようにできているから
会話が成り立つ


同じ言葉を聞くと
同じ意味を思い描くという能動的反応が
自動的に起きるように頭の中にうまく仕組まれているから
会話が成立しているということだ


逆に言えば
会話が成立する共同体の中では
同じ言葉で
同じ意味を想起する能動的反応が「約束」されている


この「約束」が崩壊すれば
会話が成り立たなくなるので
「約束」はとても大切だ


考えてみれば
お金も「約束」だ


「約束」が破られて
お金が紙切れになったら
お金での物の取引はできなくなり
物々交換の時代に逆戻りだ


電子マネーが
ただの電子信号になっても同じことだ


「約束」を守りあい共同体が維持されている


このような大事な「約束」が「義務」をもたらしている


他人に課せられた「義務」は重荷に感じないけれど
自分に課せられた「義務」は時に重荷となる


この言葉を聞けば
あの意味を想起しなければならないのも「義務」であるし
この金額のお金なら
このぐらいの価値があると判断するのも「義務」である


このような「義務」はそれほど重荷ではないけれど
言葉やお金がどんどんと積み重なって
どんどんどんどん重荷になってゆく


「神様」という言葉は
そんな塵がたくさん詰まった重い言葉だ


「神様」という言葉に対して
状況に応じた意味を想起する


たくさんの塵が積もっているので
「神様」から想起される意味は
時代や状況で変わってくるし
言葉を発した人によっても
感じられる意味は違ってくる


「神様」は
共同体が醸し出す一種の「約束」の全てを象徴しているから
おおいなる「義務」を象徴しているのだろう


色々な人がいて
色々な意見があり
対立して論戦を戦わすことがあっても
根柢で同じ「約束」を共有しているから
論戦が成立している


このような
根柢で連なった絆が
「神様」となって
共同体を守っているのだろう


言い換えると
「約束」の地は
「義務」で覆われた大地ということになる


私だけが自由ではいられない


約束の地では
義務の中を泳ぎ生き抜く宿命を負っているのだ


せめて
義務の中を「自由」に泳ぎたくて
言葉を操りながら
虚しく空回りし
どちらが勝ってもまた蒸し返される論戦に
ふらふらと参加したくなったりする

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