ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:「タダ」の権利と「タダ」の自由


基本的人権は
義務を履行することなく得ることができる
いわば「タダ」でもらえる権利だ


ただ
「タダ」で貰えるものなので
努力して得られる権利に比べたら
使い勝手が悪いところがある


権利に性能があるとするならば
「タダ」の権利は性能が悪いということだ


たとえば
職業選択の自由はあるのだけれど
運転免許証がなければつけない職業もあるし
資格がないとできない仕事もある


医者になんか相当勉強しなければなることはできない


言論の自由も
宗教の自由の前で神を冒涜できないし
個人間の経済格差を問題にしている時に
国家間の経済格差を問題視しても論点をぼやかせるだけだ



基本的人権は
「タダ」で貰えるけれど
みんなが持っているから
使えそうで使えない特別感のない権利と感じてしまう


特別感を持たせるには
貰うだけでなく
貰った後
さらにその権利を大きく育てなければならない


「タダ」貰える権利を
努力や義務に裏打ちされた
力強い権利に育てることが
命の力というものなのだろう


社会は
権利を育て合う個人の競争の中で
その秩序を維持している


与えられた権利に沿って
努力を重ね
社会の秩序を育ててゆけば
自分にも社会にも貢献出来よう


命は
与えられた環境に
能動的に反応してこそ輝く


この宿命の中に自由もあるのだろう


環境から与えられた自由は
与えられたたくさんの権利を基に
権利をさらに育てる自由であり
社会秩序をも育む自由である


これに対して
闇雲な自由は
与えられた環境との間に軋轢をもたらす苦しい自由だ


闇雲な自由は
「タダ」で貰える自由なのだろう


基本的人権と同じように
「タダ」で貰えるけれど
みんなが持っている自由だから
自由なようでいて自由ではない
特別感のない自由と感じてしまう


社会に許された自由と
闇雲な自由


私はどんな自由を欲しているのだろう?


「タダ」には
往々にして試練が一緒についてくる


そんな試練をたくさん乗り越えてこそ
「タダ」の権利も
「タダ」の自由も
使い出のある権利や自由に成長してゆくのだろう

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