ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

正誤判断:本質と実存の齟齬


実存は本質に先立つことも
本質が実存に先立つこともあるのだろう


肉牛の生産の本質は
肉の生産であり
命の再生産はその手段であるが
牛の命の本質は
生き延びることにある


牛の本質を
自由に操る権能が
人間にはあるらしい


この権能が
実在を本質に先行させている


女に生まれるのではなく女になるように
男に生まれるのではなく男になり
肉牛に生まれるのではなく肉牛になるのだ


力への意思は
この権能へのあこがれだ


未来を描きながら
現実を少しづつ変えてゆくと
実存は歪みはじめ
表面的な本質が変わってゆくのだが
奥底にある本質はそうそう変わるものではない


創られた付け焼刃の本質に翻弄され
そこから逃れようと
奥底にある本質が騒ぐのだ


この奥底にある本質が
動物に同じことを繰り返させている


人間も
夢をみて
力への意思を貯え
本質を変えようと努力するのだが
奥底にある本質を変えきれず
同じことを繰り返している


何も知らない仔牛も
売られてゆくのがわかるのだろうか?


本質と実存に決定的な齟齬が生まれると
その状態を調和させようと
動物たちは命をかけることを
人間は動物として承知しているのだろうか?
それとも
理性がそう判断させているのだろうか?


いずれにせよ
正しさは
権能という幻想の中にあり
実存を変革して新たな本質を求め続ける


そのことを忘れると
正しさに足元をすくわれることになるのだろう

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