ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

正誤判断:意識の外にある基準について


カラスが
空想の生物でなく
実在の生物であるから
カラスの腹黒い行動を現実のものとして
認識している


同じように
赤信号で止まるという交通ルールも
幻想ではなく
現実として働いている


逆に
空想のようになってしまったルールもある
誰も守らず
守らなくても誰からも罰せられないないルールそれだ


そういうルールは
現実のものではなく
幻想のような存在に戻ってしまう


ルールと同じように
たとえば
醜いアヒルの子の物語を
皆で感想を語り合えれば
醜いアヒルの子の物語は現実の中に存在していることになる


流行り言葉も
より多くの人が使えば
より現実的な言葉となってゆく


カラスもたくさんいて
そのカラスたちが
そろいもそろってカラスの規範に従っているから
カラスの腹黒さが現実的な存在となっているということだ


見たこともないヤンバルクイナも腹黒いと言われても
何も想像できない


カラスも
交通ルールも
流行り言葉も
私の意識の外側にある存在だ


このような
私の意識の外側に存在していると認識している存在が
現実を推し量る基準を提供してくれている


無意識や本能も
意識の外にあり
必要に応じて意識の俎上に上る存在であるのだろう


意識本体は
来たものを受け流しているだけのように感じることがある


感情も
何処か意識の外に
悲しくなるべき状態の基準
うれしくなるべき状態の基準
幸せを感じるべき状態の基準が用意されていて
その状態になったとき
意識が感情を受け流しているように思えて仕方がない

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