ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

多元論:受身と能動の二元論


愛するということ と
愛されるということ は
全く別方向の存在だが
それが共存するところに
幸せがある


原因から結果を推測する思考と
結果から原因を推測する思考も
同じように別方向の存在だ


独我論的思考の中で
自己完結していても
思考の誘因と
その結果としての思考があり
この思考の誘因と
思考の結果は
愛し愛されるという別方向が会合した蜜月状態のような状態にある


誘引は結果を能動的に顕し
結果から見れば
誘因により受動的に顕れることになる


このような
インスリンと
インスリンリセプターにリンクした酵素活性のような
原因と結果の結びつきが存在しているので
誘惑する者と誘惑される者の関係が
無限後退の闇の中から
現実のものとして顕れている


なぜ相思相愛の関係が維持されているのか?


インスリンと
インスリンリセプターの相思相愛関係は
人間の意識がするような思考を経ずして成立している


なぜ能動的に
他の存在に働きかけなければならないのか?
なぜ受動的に
他の存在の在り様により自らを変えなければならないのか?


こんなことを考えもせず
インスリンは
インスリンのリセプターに働きかけ
インスリンリセプターは
インスリンから働きかけられるがままに
自らの姿を変えてゆく


その一方で
リセプターに出会うことなく
不活性化してしまうインスリンもあり
インスリンに出会うことなく
壊されてしまうリセプターもある


能動と受動は
ペアで存在しているようでいて
必ずしもペアで存在しているわけではない


それぞれが独自に存在してる


部分は全体の中で機能を負うが
部分は部分として
その機能から自由に存在している側面もあるということだ


他者への能動や
他者からの受動を思考するということは
独自性より全体性を重視する思考の
第一歩を踏みだす意識として
位置づけることができるであろう


暗い淵を挟んで存在する能動と受動の間を
赤い糸が結び付け
部分を全体へと連ねてゆくのだ


物であれ
心であれ
能動と受動を紡ぐ赤い糸のつなぎ目を持っている


物であれ
心であれ
部分として
全体へ統合される素養を持ち合わせているようだ


独我論も部分として
何かに憧れたりするのだろうか?

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