ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

同一性:恣意性からの昇華


100円玉10枚と
千円札一枚は
同じであるが
異なっている


同じであるから交換できるが
異なるから交換する


重さも体積も見た目も違う
100円玉10枚と
千円札一枚が
同じだと思うのは
重さや体積や見た目に価値を感じないからなのだろう


100円玉や千円札を
物質としての価値を見て取っていないということだ


人間がお金を扱う時
100円玉や千円札は
もはや物質ではなくなっているから
100円玉10枚と
千円札一枚が
同じになることができているということだ


金銭的価値の尺度でしか
100円玉も千円札も扱ってもらえていないのだ


100円玉の模様やその輝き
千円札の細かな文様などに
いちいち気に留めることもなく
お金たちが右から左へと流通している


私という人間も
100円玉や千円札のように
私のある側面として社会の中を流通している


ある場面ではある人と同じに扱われ
別の場面ではそれとは別の人と同じに扱われ
社会の中を右往左往している


100円玉や千円札のように
人間が創造した「同一」の中に収まることで
私も
社会の一部として認められているということなのだろう


一人前になるになることが
とても大切なことである


不良品でも偽造品ではない100円玉や千円札が流通していることが
とても大切なことである


こうした大切なことが維持されることにより
恣意性が解消され
秩序が昇華して現れる

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