ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

同一性:規格化推進と青春時代


規格品は
どのメーカーの作であっても同一でなければならない


電源のコンセントの形が
メーカーごとに違っていたら不便で仕方がない


規格化がまだ途上なのだろうか
USB端子は個性的なところがあって
形が当てはまらず入らないことがある


同じ機能を持つUSB端子も
形が違うだけで使い物にならないのだから
もったいない


こんな無駄を省くために
規格化が進められるのだろうけれど
どの形が最適なのか
一体どうやって決めてゆくのだろう?


自由主義的に考えれば
最も利用頻度が高いものに
いずれ集約されてゆくだろうと
楽観的に考えるのだろうか


社会主義的に考えれば
まずは強権的に規格を作ってしまい
それに従わせれば
不効率な競争を経ることなく
規格化が進むと考えるのだろうか


こんなふうに考えていると
方言は
規格化が進む前の自由主義的言語で
標準語は
規格化を強要した後に現れた社会主義的言語なのかと
思ったりする


方言に安らぎを感じることがあるのは
こんな背景があるからだろうか?


いくつもの端子のついたUSBのコードを手に取りながら
「ある意味、自由の象徴なのかなあ」と
選択肢の多いことの意義を眺めていると
若い頃を思い出した


あれもこれもと欲張り
自由を謳歌し
何も得られずとも
楽しい時間があった若いころ


青春は自由の象徴だったのだろう

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