ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象環境:私という大きな家の中で


巨大な樹木に囲まれた尾根道を歩き
岩肌を縫うような小道を登り
山頂に立ち絶景を見下ろす


開けた視界と達成感が織りなす感動は
私由来の感情なのだろうが
私が感じたいと思えば
すぐに感じられる類のものではない


苦しくとも
前に前にと歩を進め
やっと出会える私由来の感情だ


私が
私の感情を引き出すためには
私がそうしたいと思うだけでは足りないのだ


あの時の感動を
もう一度感じたいと願い
その時の写真やビデオを眺めながら
その時の感動を思い出そうとしても
理性的に思い出すばかりで
あふれるばかりの感動は湧きあがらない


「感動」
あの時「動」いていた「感」


どこで何が動いていたのだろう


あれからも私は動き続けているのだけれど
あの時と同じように動こうとしても
同じようには動けない


膵臓は沈黙の臓器と言われている


私の膵臓が痛んでいたとしても
その痛みを私は感じることがないらしい


私が感じることができない私の膵臓は
私ではないのかもしれないし
私であるのかもしれない


同じように
感動している私は
私であって私ではないかもしれない


きっと
私は大きな家なのだ


たくさんの部屋がある大きな家だ
その中を
私はさ迷い歩いている


開かずの間があり
そこには私には入れない


苦労の末たどり着く山頂のように
入るのにすごく苦労するけれど
魅惑的な部屋もある


かと思えば
行きたくもないのに押し込められてしまう
監獄のような部屋も用意されている


私は
私という大きな家の中で
どこの部屋で過ごしたいと願っているのだろう


そこで過ごすためにないをすればよいのだろう


住み慣れた部屋


そこに留まれば
私は小さく収まりながら
小さく生きてゆくこともできるのだろう

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