循環と遷移:受容される様々な時間たち
時間は流れている
物語を読むときにも
時間が流れている
この時間とともに
物語のストーリーの時間も流れている
活字を目で追う時間と
ストーリーの時間の
2つの時間が意識にまつわり存在しているということだ
映画を見る時間と
映画のストーリーの時間も
併存している
このためなのだろう
本を閉じ
あるいは映画館を出て眺める世界に
違和感を覚えることがある
現実世界の風景や時間が
本の世界や映画の世界と
大きく異なるものであるためだ
意識は
様々な時間を併存させている
意識が主体であれば
意識は時間の支配者であり
時間が主体であれば
意識は様々な時間をくわえ込む受容体だ
意識は
時間を選択できるという意味で支配者であり
本を読んでいる時間
映画を見ている時間といった
意識活動が流れている時間が本来の時間とすれば
他の時間は
他の主体から意識が受容した客体ということになる
時計の針や
車が通りすぎてゆく速さに
時間が流れていることを感じることができる
目を閉じていても
時間が流れていることを感じることができる
しかし
眠っていると
時間はさもなかったかのように過ぎ去っている
起きた時
それが寝た時の翌朝なのか
翌々日の朝なのかを判断するには
新聞の日付などで確認しなければ確証できない
何時に起きたのかを知るために
朝の空の様子や
時計が差す時間を確認したりする
意識は
感覚器の窓から時間を受容しているのだ
現実からのみならず
本や
映画からも
感覚器の窓を通じて
同じように時間を受容している
だから
本を閉じ
映画館を出た時に
連続した時間の中で
意識が
急に異なる時間を受容して
戸惑うことにもなってしまうのだろう
物語や映画は
それぞれに特有の時間を循環させている
読まれ
鑑賞される時間が流れて
時代が変わっても
頑迷に
それぞれが持つ時間を維持しながら
それぞれの時代に再現し続けている
循環は
時間を飛び越える術である
この術の不完全性から
遷移が生まれる