循環と遷移:多媒体に担がれる世界
音楽が
レコードを媒体として広がり
CDを媒体として広がり
いまや
スマホにダウンロードされながら広がっている
たくさんの媒体があり
たくさんの媒体から音楽が再生され
同じ音楽が
世界中で何億回も流れるような時代になった
このような何億回も再生されるような音楽は
やはり何億個もある媒体や再生機に依存した存在だ
そしてまた
何億もの
それを聞きたいと思う人の思いに支えられながら
後世へと伝えられている
このような過程で
その都度
音楽は
聞いている人の耳から入り
聴覚細胞を刺激し
意識へと送り込まれる
レコードやCDやメモリーも媒体なら
再生機の電気信号も
空気振動も媒体であり
鼓膜も媒体で
神経細胞の興奮も媒体だ
そして意識の中でこだまする音楽も
脳内に媒体として記憶され
その音楽をまた聴きたいと思う気持ちへと変換されてゆく
媒体の刺激に対して
次の媒体が反応し
その媒体がそのまた次の媒体を刺激し
刺激と反応を通して
媒体から媒体へと同じ形を変えながら音楽が伝わり
循環しながら
後世に伝えられている
一つの音楽を主体とすると
その音楽は一つにして
多様な媒体として現れ循環しているということだ
モナド的循環の中で
音楽は後世に伝えられていく
遷移しながら
あるいは原形をとどめながら
後世へと循環を繰り返す
音楽は
多数の媒体に支えられ運ばれる
神輿の上の神のような存在と言えよう
言語もそのような神である
このような神が媒体が担ぐ神輿の上で巡回しながら
後世に伝えられてゆく
神輿の上から
神は
それぞれの恩恵を
媒体へと振り落としているのだろう
それが
循環の原動力であり
淘汰されず
選択され続け
巡回し続けてゆくエネルギーを誘因せつづけているのだろう
媒体に適応的な主体が
生き残るのだ
主体は
媒体に適応しなければ生き残れない